2011年4月30日土曜日

思いっきり休息(4/30)

北海道部会の舞台となる帯広畜産大学
今日が第14回東日本区大会の〆切最終日。

結局、私に出来ることはメーリングリストにメールを流すことだと諦め、朝からメールの作成に取りかかり完成をみる。が、流すに躊躇する。
そうするうちに大会事務局から申し込み〆切の延長が案内される。

そのことが逆に私の肩を押した。
メーリングリストに思い切って流すことにした。江東クラブの香取さんから「私のメールを見て登録を決意した。」というメッセージが流されて、ちょっとホッとする。
レスポンスありがとうございました。感謝の言葉もありません。

台湾で行われるワイズメンズクラブアジア大会の早期申し込みも5月15日に延長されたようだ。
台湾の皆さんが日本に送ってくれている友情と支援には頭が下がる。
しかし、口蹄疫の関係で職場の目もありアジアというか海外には旅行に行きづらい。やぱり行けないだろうなぁ・・・

スーパー銭湯「やよい乃湯」
再びクライミングウォールに行こうとするが、腕が痛くて断念し、新たにオープンしたスーパー銭湯に行く。
ついでにマッサージも受けてすっきりする。
体重計に乗ってがっかりする。私6キロ太りました。自分でも「なんんでぇ~~(T_T)」と泣きたくなる。
一日で腕がボロボロになるはずである。
赤ん坊を抱えてクライミングするようなものだ。

温泉を後にしてホームページの素材を集めに帯広畜産大学に行く。
ここがとかち帯広YMCA50周年記念講演会とワイズメンズクラブ北海道部会の会場となる。

偶然だが晩にNHK北海道内のローカル番組「北海道中ひざくり毛」で「帯広畜産大学界隈」が紹介されていた。馬術部を中心とした紹介内容。らしい感じだ。

と言う訳で、乳温管理端末の携帯電話の子守はあと一日。
明日は職場で仕事である。

明朝5月1日にブログの公開を再開することとしよう。
自由な投稿の日々よ。さようなら。

2011年4月29日金曜日

ゴールデンウィーク開始(4/29)

みんな外岩に行ったのかやり放題のジム

ゴールデンウィークが始まったが、生乳係長兼務の私としては直ぐに職場に直行できる体制が必要で山にもどこにも行けず自宅待機に近い。
牛乳の安全安心を守る牛乳クーラーに取り付けられた監視装置に繋がっている携帯電話のお守りをする。

こんな時こそ北海道部や北海道部会のホームページ作成と思うのだが、疲れが溜まっているのだが、いまいち気分がのらない。

しかも、携帯電話の基地局の調子が悪いと思っているのだが、朝から休日出勤の部下の携帯電話の調子が悪く、酪農家から問い合わせの対応に追われる。

それでも北海道部のサイトの基本デザインは決めたし、北海道部会のバーナーも作成した。
でも、圧倒的に素材が不足している。
やれることも限られるが一番不足しているのはやる気。

北海道部のメーリングリストの準備もしなくてはならないと思う。

スタートさえ準備をしっかりやっておけば大丈夫だと言われてそうなんだろうなとは思うが、うまく準備が進んでいない。

5センチのパイプファイルは準備段階も終わらないうちに満杯となった。
部長がやるべき内容は結構なボリュームである。
でも、歴代部長がみんなやってきたことなんだと思う。

ウダウダしてもしょうがないので、部下の携帯電話の修理を依頼しがてらTSUTAYAの会員継続手続きを行い、5月3日~5日の十勝連峰への縦走のためにデポ旗作成のために赤い布とニトポールを購入する。
農協で売っているニトポールは品質はしっかりとしたもので価格も安いが、重いのが難点。でも、しょうがない。

午後からは町内にあるクライミングウォールに行くが、運動不足もたたって直ぐにウデがパンプしておしまい。中高年クライマーらしいヘタレぶりである。
久しぶりに畜大卒業したての札幌在住の若者に会えて嬉しかったな。
同級生の畜大卒業生が仙台の職場に配属されたことを知った。健闘を祈る。

自宅のスキャナーが故障。山岳会のHPの更新に失敗。クライミングウォールのHPは更新した。
TSUTAYAから借りた「スタートレック」を観賞。テレビシリーズを思い出してなつかしさとともに面白い。
まあ、充実したGWなのかな?(本当かぁ・・・・)

2011年4月28日木曜日

娘の彼氏(4/28)

宮古で活躍するワイズトラック
明日からゴールデンウィークである。

珍しく早く帰宅すると娘の彼氏がうちに寄ってくれた。

いい若者だ。娘も幸せそうだ。娘にはもったいない位のいい奴だった。
将来どうするかは不明だが、娘が幸せなら父はなんでもいいのだ。
まだ、「お父さん」とは呼ばれたくはないが幸せを祈る。

ワイズのトラックが盛岡で活躍しているようだ。
ワイズドットコムの投稿を嬉しく読んだ。

私があてにしていた軽トラックは既に売却されていた。
発電機なんかも物資輸送されたことが報告されていた。
ワイズのネットワークが意外と(?)確かなものであることに驚きと喜びを感じる。

東日本区大会の登録者数が予想より悪いことが金井実行委員長のブログで書かれているのをみて責任の一端を感じる。

寂しいので十勝クラブからもう少し参加者がいればいいのだが会長と私の二人にとどまりそうで、私の力不足を感じる。
私が出来ることはなんんだろうか?押しつけがましくなく謙虚な姿勢で臨みたい。

2011年4月27日水曜日

南極料理人(4/27)

堺雅人(映画.comから)

 堺 雅人という俳優は映画「クライマーズハイ」における新聞記者の演技がとても記憶に残っている。
 今日の私は疲労がたまり、体調も良くない。
 行こうと思ったクライミングウォールをやめて、前から観たかった映画「南極料理人」を「WOWOW」で鑑賞することにした。

 もちろん題材的にドラマチックなシーンがあるわけではないので、小さなエピソードが積み重なる構成である。
 これがおもしろい。

 大笑いすると言うよりクスクス笑う様なエピソード連続なのだが、真剣で厳しい生活環境だからこその人間の滑稽さが浮き出て一流のユーモラスな人間劇となっている。
 エビフライのエピソードは大爆笑だったなぁ。

 ここでも堺 雅人の演技はすばらしいと思う。

 さて、岩手に支援に行った北海道の沢登りの宣教師 ganさん(岩本和彦さん)から被災地支援に関する動きがHYMLに流されていた。
 サバイバル能力に長けた登山者の一部は、自分の出来る範囲で動こうとしているようだ。
 うれしくもあり自分は自分なりに何かを出来ればいいと思っている。
 私が大好きな若者。帯広のもっちゃんも自分の休暇を活かしてお父さんと被災地に行く準備をしているようだ。

 とかち帯広YMCA側の事情で延期となったYMCA幼保園の子供達を中心とした募金活動は5月14日となった。


2011年4月26日火曜日

山岳会に超大型新人(4/26)に

山岳会の説明を受ける新人さん(奥)

今日は帯広勤労者山岳会の例会で新人さんが2名入った。
既に私は知っている人たちで強力なメンバーになりそうだ。

さて、ブログである。
そういえば今日入った新人さんもブログをもっている。

若葉マークさんのブログ
空に向かって ひとりごと

昨日、ワイズメンズクラブの中崎北海道部長から部長通信が届いた。
なんと22号となる。
頭が下がる。

このハイペースを次期部長の私が来年度も継続することは恐らく出来ない。
出来ないとするとそれを補うツールが必要となる。
私の性格上、少しずつ書きためるしかない。
ブログは日記が基本なので書きためるツールとしてはかなり優れている。
部員にもリアルタイムに自分の考えを伝える事ができるはずだ。(部員が積極的に見てくれなければ終わりだが)

当初の目的はそのまま守ることにした。
4月中は非公開のままとし5月になれば4月分はアーカイブされるはずだから、4月分の投稿は目立たない投稿になるはずなのでその間は素直な内容を楽しむことにしよう。

5月1日から公開することを考えている。

2011年4月25日月曜日

じゃがいもファンド委員会(4/25)

今日は十勝ワイズメンズクラブのじゃがいもファンド事業の実行部隊。
ファンド委員会に出席。

色々と課題が多く時間が掛かった。
昨年は農業は天候に勝てないとはいえ、数量が揃わずご迷惑をお掛けしたのは間違いない。

今年は全国の皆さんに少しでも喜んでもらえるものとなって欲しい。
そうしなくてはならないと思う。




さて、このブログなのだが現時点で公開を停止している。
事情はお察し下さい。


ワイズメンズクラブ第14回東日本区大会実行委員長の金井メンからご自身のブログについてご紹介を戴いた。
それから毎日覗く習慣となった。

金井メンのブログ→常念が見える部屋から

私との会話が載ってたりしてちょっと気恥ずかしい。

私はブログを設置するにあたりかなり目的を明確にしていた。
道内ワイズメンに自分の気持ちも伝えながら情報発信をすすめ活動に活かしていくという目的だ。

だが、金井さんのブログはかなり個人的で内省的なものにみえる。
ブログというのは本来、こういう自分に素直なものであったのではないかと思う。
私のブログはかなり即物的なものだ。今読み返しても余裕のないものに思える。
さわやかさが無い。読み手を意識している。

自分のブログをどうするか。正直迷いが出てきている。
非公開にした後のブログの方が心地いいのは間違いない。
このまま閉鎖かな?

北川の岩(4/11)と初めての動画編集(4/24)

北川の岩・錦ヶ浦(5.12c)
今日は風邪のため大事をとって自宅で静養する。
本当は山に行く予定だったが風邪が抜けなかった。

釧路の娘は今日帰って行ったが、短いメッセージと共に彼女にとっては大金であっただろう額を置いていった。
思いもしない事態に両親は涙ぐんでしまう。

「学校に通わせてくれたお礼です。少しでごめんなさい。」

馬鹿なことを言ってはいけない。
笑顔を見せてくれただけで十分なのに、食事をおごり、生意気にもお金まで置いていった。
「メッセージだけで十分だね。」その通りである。
妻曰く「なんて私の血がいっぱい流れているだろう。」おめでたいというか図々しいというか。
でも、そうかもしれない。

今日は、山岳会のHPのメンテナンスを行い、クライミングジムのHPのために動画の編集にチャレンジする。

編集作業はそれほど難しくないのだが、よくソフトが落ちた。

道東ボルダリング交流会の動画

それとワイズメンズクラブ第3回役員会の時に埼玉県・飯能市近くの川北の岩でフリークライミングを教えてもらってきた。

勝井クライミングスクールの投稿記事

勝井武志氏によるフリークライミングの動画(私編集編)

まじめに教会でも行こうと思ったが、娘が帰るのが少し遅れたのと統一地方選挙の投票のため、更に風邪の養生のために自宅でおとなしくしている。

2011年4月24日日曜日

気分の切り替え(4/23)

娘よ。お食事ごちそうさま。
朝にこのブログ公開を一旦閉じる。公開再開は5月を予定している。

昨日の投稿の内容だが、だいぶ気持ちの切り替えができてきた。


松本大会で富士五湖クラブのメンバーに直接お詫びし、許してもらえるなら9月下旬に日本一高いところで行われる例会である富士山例会に十勝ワインを携えて出席させてもらうことにしよう。
富士五湖のメンバーと大親友になれたら本当に嬉しい。そう願う。

今回の失敗を福となせるか?それは私の誠意が届くかどうかだ。気合いを入れて取りかかりたい。

晩に釧路から新米看護士の娘が帰ってくる。
初給料で両親に夕食をおごるという。

幕別町内にあるカフェレストラン SAIKIでありがたく食事を戴く。
お手頃価格でちょっとおしゃれな感覚を満喫できる。もちろんお食事も美味しいです。

顔を見せてくれるだけで嬉しいのにありがとうね。

2011年4月23日土曜日

大失敗(4/22)

金井さんから戴いた松本の風景写真(素敵だ)
正直、へこんでいる。大変なことをしてしまった。

昨日送った東日本ワイズドットコムの投稿で昨年大会の富士五湖ワイズメンクラブの方にとんでもない不愉快な思いをさせてしまった。

北海道の距離感覚で行けば甲府と昨年の富士吉田市は隣町のような感じである。
山梨の土地勘もなかったのだが、富士吉田市で開催された大会を甲府大会というのは今になってみれば、さすがに私も無理があると思う。

しかも第8回の大会が甲府市内で開催されているのでこれでは昨年の大会の立場がないというものだ。
富士五湖メンバーの怒りはごもっともだと思う。
電話を戴いたのは職場だが、電話であやまるものの謝罪の気持ちを伝える言葉がうまく見つからない。
通話が終わると椅子にへたり込んでしまった。

東日本区大会の開催地で大会名を称するのは正式な形ではない。これも不用意であった。

昨年の大会に登録した時に実は富士吉田からの富士山登山か瑞牆山から金峰山への縦走を考えていた。
ほぼ瑞牆山縦走に決めてかかっていたので、宿泊場所を甲府市内とし大月経由で富士吉田の大会会場に入る計画を組んでいたと記憶している。
このふざけた姿勢が問題の伏線となっている。

早く帰宅して謝罪と訂正のメールをワイズドットコムにと思うがこういう日に限ってお仕事満載である。
やっと9時に投稿する。
意がうまく伝わるか自戒のための記録として以下に投稿文を掲載する。


昨日送りました560番のメッセージ「松本へGO!!」につきまして大変な間違い
を犯してしまいました。
ここに深くお詫びします。

昨年の大会を「甲府大会」と記載しましたが、富士五湖クラブがホストしまし
た大会で場所も富士吉田市ですから甲府とは関係の無い大会です。
しかも罪深いことに第8回大会が甲府で開催されておりますので、これでは第
13回大会の立場がございません。

前メッセージにも表明させて戴きましたが、第12回大会と当地・十勝でホスト
し私自身はそれ程貢献できなかったのですが、実行委員会の苦労については多少
なりとも理解しているつもりでした。

その私が舌の根の乾かぬうちに、大変な苦労の中で第13回大会を成功に導いた
富士五湖クラブメンバーご一同様の誇りを大いに傷つける不用意な言葉を発して
しまいました。

富士五湖クラブの皆さんは次回大会のアピールのために沢山のメンバーの方が
十勝大会に参加して戴きました。
バンに乗り込む皆さんをホテルノースランド帯広から見送ったことを懐かしく
思い出します。
そんな皆さんの恩を仇で返すことになってしまいました。 

関係者の方から指摘を戴いた時には口いっぱいにサビ臭い味が広がり、椅子の
上にへたり込んでしまいました。
既にやってしまったことで取り返しの付かないことでもあり、謝る言葉を探し
ましたがどうしても今その言葉を見つけることができません。
いくら山梨での土地勘がないがさつな田舎者とは言え、常識と思慮が欠けてい
たことは許されるべきことではありません。

通り一遍の謝罪ですむ話ではないと考えており、松本において皆様からのお叱
りの言葉をしっかりと受け止めさせて頂き、少しでも謝罪の気持ちをお伝えでき
ればと考えております。

ワイズドットコムに登録されている皆様。とりわけ富士五湖クラブのメンバー
の皆様に不愉快な思いとご迷惑をお掛けしたことを心よりお詫び申し上げます。

また、厳しい中にも配慮をもってご指摘を賜りましたひとりのワイズメンにこ
の場をお借りしてお礼申し上げます。

大変申し訳ございませんでした。


2011年4月22日金曜日

第14回東日本区大会・松本大会にGO!!(4/21)

第14回東日本区大会の登録申し込みを終わらせた。

今回の大会の登録はブラウザからの申し込みが基本となる。

普段使うブラウザ「Google Chrome」では途中で入力が出来なくなってしまう。
仕方がないので、「Mozzila Firefox」を利用して登録を行った。

エクスカーションは安曇野とした。
市場でたまたま南信酪農協(事務所は松本だが同行の酪農家は安曇野市在住)の方とお会いしたために運命を感じたのだ。(そこまででもないか)

朝ドラが今、井上真央主演で安曇野が舞台らしい。

登録システムは、基本登録・大会登録・エクスカーション登録を行う度に基本メールアドレスに内容が届く形だ。
安心できるシステムだと思う。

心優しいHYMLの仲間(中央奥が私)
昨年のホストクラブの富士五湖クラブのHPを久々に拝見する。
昨年も国際大会も日本で開催されるというビハインドもあったが500名弱のワイズメンが登録されている。
震災を受けて今年もそれ以上の皆さんが結集できれば素晴らしいと思う。

21日の晩にこのブログの一文を転載してメーリングリスト「東日本区ワイズドットコム」に流した。
第14回東日本区大会で相当な苦労をされているだろうホストの松本クラブを応援したかった。

私が管理人をしている「北海道山のメーリングリスト(HYML)」では、オフミでの募金が南三陸町に捧げられたとのこと。志津川出身の岳人の呼びかけに応じての行動で、くだんの岳人からも感謝の言葉が捧げられていた。来週には自転車で現地入りするそうだ。
サバイバル能力に長けた岳人の活躍の機会は初期では多いのかもしれない。

2011年4月21日木曜日

口蹄疫から1年(4/20)

山田メンと品評会出品牛(いいおっぱいしてます)
宮崎の口蹄疫の発生から1年がたった。
あの時の衝撃は忘れられない。

ちょうど東日本区大会 甲府大会への登録費の送金を終わらせた後だった。
甲府大会の参加については随分と迷ったのだが、畜産関係者の私は直ぐに禁足令が職場で掛けられしばらく様子をみるものの収束の気配が見られず、厳戒態勢のまま1ヶ月後参加を断念する。

今年の松本大会は仕事で変則的な参加しかできないのはワイズメンとしては本当に残念だ。
交流こそが明日への活動に向けた活力だと信じて疑わない。
いい大会になることを信じている。

昨年の甲府大会は休みを繋いで富士吉田口から富士登山か瑞牆山への登山を予定して夢を膨らませていただけに非常に残念だった思い出がある。

航空券の購入はネットによる早割予約でその当時のクレジット利用明細にはくっきりとその足跡が残っている。

仕事でも1年間振り回された一年で横浜の国際大会にも参加できずにほぞを噛んでいた。

決して人にはうつらない病気だったが風評被害は甚大で北海道にもその影響は少なからずあった。
あらゆるイベントが中止され、昨年は口蹄疫。今年は震災のため5年に一回の酪農祭典であるホルスタイングランプリは中止に追い込まれた。

来年は5年に一回の和牛の祭典。全日本和牛共進会が長崎で開催予定で既に準備は始まっている。
東北の被災地からも困難に打ち勝って出場を果たし、暖かい拍手に長崎の会場が包まれることを祈りたいと思う。

晩に鈴木健次事務所長から部評議会の翌日の同行に対するお礼だと言ってカステラが届く。
お礼を言うのはこちらなのに、本当に申し訳ございません。がんばります。

2011年4月19日火曜日

ありゃりゃ(4/18)

小麦もだいぶ緑が深くなってきました
昨日と打って変わっていいお天気。ぽかぽかとした朝に久しぶりに軽くジョギング。
高台から見る日高山系と大雪山系は雪をまとって美しい。
ウペペサンケ山は斜面に黒いものが見える。

帰って体重計に乗ってビックリ (´゜Д゜`)ンマッ!!
週末に比べて3キロ太っている。
暴飲暴食の部評議会・次期役員研修でありました。
走っていて非常に体が重かったのも合点がいく。

仕事の打ち合わせをおこなったのだが、7月9日に仕事が入ることが避けられそうにない。
この日は第1回東日本区役員会が富士山YMCAで行われてることになっていて相当ショックである。
写真で見る限りとてもおしゃれなグローバルコテージから見る富士山をとても楽しみにしていたのでがっかりちゃんです。

部評議会・次期役員研修の翌日の今日である。
本当に部長としての先が思いやられてきたぞ。

旅行代理店から東日本区大会のための航空券を発券していいか確認をとってきた。
もちろんOKに決まってんじゃん。
東日本区大会も上高地訪問をとても楽しみにしていたのに仕事で行けず、しかも、変則的な参加に終わるのもとても中途半端な気持ちである。

盛岡YMCAから震災支援に必要なトラックを求めていることがワイズドットコムに流れていた。
心当たりがあるので、明日聞いてみよう。

とにかく仕事こなすのに必死な一日で、帰宅して、即、布団にもぐり込む。

2011年4月18日月曜日

東日本区ゲストとご一緒(4/17)

YMCA上旭キャンプ場施設を見て戴く。
施設内部をご案内
久しぶりに目覚めは爽やかだ。二日酔いは二日酔いなのだがそれさえも心地よい。
自分が思う以上に評議会・次期役員研修会はプレッシャーだったのかもしれない。
それが終わって開放された気分だ。

同じ帯広ワシントンホテルで泊まっている東日本区のお二人(河合重三次期理事・鈴木健次事務所長)を私の車に押し込んで、まずは十勝クラブ会長の池田メンの家に車を進める。

今日の十勝は昨日の雨は上がっているが高曇りで強風が吹きすさぶ。

池田会長の自宅(山の麓)の雪に河合重三次期理事は大喜び(でもないか)

YMCA上旭キャンプ場の前身であった上旭小学校の閉校を取り上げたNHK番組のビデオを見る。
YMCAと上旭との結び付きがよく撮れている。
いい働きをしていたんだなぁ。YMCAは・・・・
これは一見の価値がありますぞ。<十勝クラブメンバー

YMCAキャンプ場の施設をお二人に見て戴く。
施設の維持管理に相当個人的な散在と労働奉仕を重ねている池田会長をワイズとして一人にしていいのかという思いはある。
いくら地域と仲間の支えがあるといってもそれはワイズとしても支えるべき事柄だと昔から思っていたが、力不足ですねぇ~私ら。

第12回東日本区大会十勝大会でキーノートスピーチをお願いした宮嶋望さんのホームグランド。共働学舎に着くとそこは吹雪模様(は、ちょっと大袈裟か・・・)
美味しいチーズとコーヒーで体を温める。


十勝ワイズメンズクラブにゆかりの地。松久にじます園(芽室町)で昼食を取る。
にじます園内にあるサボテンのハウスで初めてサボテンの花を見る。
滅多に咲くものではないと思ったのだが、ハウス内は満開となって驚く。
ここではちょっと色々な出逢いがありましたよね。
美味しいにじます料理と熱燗がよく合ったでしょう。(私はハンドルキーパー)

とかち帯広空港にお二人を送り届けると盛んに「いや、申し訳なかったね」と頭を下げられるが、一日を通じてお二人から貴重な話を聞くことが出来て、むしろ、感謝するのは私たちの方である。
一日付き合って戴きありがとうございました。

2011年4月17日日曜日

北海道部評議会・次期役員研修会(4/16)

すっかりと二日酔いで極めてだるい朝を迎えた次期部長の私です。

評議会・次期役員研修会はホストクラブの十勝クラブに支えられて何とか当日を迎えることができた。

評議会の一シーン
落ち着かずに10時には会場の十勝プラザに到着。
高田メンや赤松メンがまず会場に到着してくれて準備を進めてくれる。

どたばたしているうちに東日本区から河合次期理事・鈴木事務所長を迎えると言うより通り一遍のあいさつで終わる。
敬愛する現部長の中崎メン(北見クラブ)が来場されホッとする。
中崎部長は私の良き生きた見本だ。

現場は大混乱しており、ホストクラブをそっちのけに私の方からあれやれこれやれと指示が始まるが、よく皆さんご協力して戴きました。
ありがとうござんす。

結局、私が最後に昼食を取り昼食後の会場入りは一番最後となった。

中崎さんは今年一年の活動の裏付けもあり自信を持って中間報告をなさっていた。
任期3ヶ月を残して部長通信18号のハイペースはみんなに尊敬を織り交ぜて冷やかしも加わった賞賛を集めていた。
これほど北海道部の動きの見えた一年は私にとってはなかった。
・・・・しかし、跡を継ぐ私は付いてけませ~ん。(T_T)

私に次期部長方針の提案はポイントを搾ったつもりが何が何だか不思議な提案と受けとれられたのか特に反応なし。(苦笑)

中崎部長の提案で北海道2000プロジェクトの委員会が緊急で招集され、当面、北海道2000プロジェクト委員会は継続を確認。
札幌地区のサッカー大会を軸としたYMCAとの連携でメンバー拡大を進めることを決意しました。
委員長の柴田さん。ご苦労さんっす。

次期役員研修での河合重三次期理事・鈴木健次事務所長のミニトレーニングは主催者側としてもためになるものだった。
お疲れ様でした。

北見クラブ・宮沢会長のスピーチ
会場をふくいホテル内のレストラン「バイプレーン」に移して懇親会に突入。

それぞれが好き勝手に盛り上がる中、最後に私のアホ丸出しのスピーチでしまるものもしまらない。

ニコニコボックスが回され献金は東日本大震災支援募金に捧げられました。

十勝の食材を活かした長屋さんの料理に満腹した一同は別れを惜しみながら会場を後にしました。

その後、十勝クラブの反省会兼東日本区のお二人の歓迎呑み会が12時まで続き、三日連続の呑み会となった私はベロベロとなり、再びワシントンホテルのベットでグロッキーとなったのでした。

ああ、次期北海道部の先が思いやられる。(T_T)

2011年4月16日土曜日

東日本区役員会(2)(4/15)東日本区大会にGO!

金井第14回東日本区大会実行委員長
あずさ部次期部長であり第14回東日本区大会・松本大会の実行委員長の金井さんはかなり真面目な人だ。

東日本大震災以降、随分と悩まれただろう。
きっと、大会の開催を諦めるべきだという意見は届いていただろう。
随分と悩んで祭典的な部分をカットし規模を一部縮小しながら、震災後のワイズメンの団結を強めるという大会の性格に大きく梶を切ることにしたようだ。

金井さんは必死に前日にまでにまとめ上げたというパワーポイントによる一生懸命なアピールでその素朴さに好感を感じた。
きっと金井さんを悪く言う人はいないだろう。

是非、6月4日(土)に松本に行って下さい。
きっと思い出になる大会となるでしょう。歴史的な大会になる予感がする。

昨年は口蹄疫で職場で禁足令がかかり、登録料を払うものの参加を断念。
今年も仕事で参加が出来るのが最終日の日曜日という変則的参加の私。

それでも、一昨年、12回十勝大会での苦労が分かるだけに実行委員会の心痛を察してしまう。

そんな訳で、是非、ご出席を。
あなたにとっても大きな糧を得られる大会になるでしょう。

今日、私は職場から航空券とJR券の予約を入れたのであった。

夕方、直ぐに職場を出て帯広に走り、北海道部評議会・次期役員研修の懇親会会場、バイプレーンに直行。
渡辺メンにお付き合い願う。(本当にすみませぬ)
それから職場の先輩の送別会に行き、晩遅くまで飲み明かした後、タクシーより安いワシントンホテルで眠りにつく。

死ぬ・・・・・・(ーー;)

2011年4月14日木曜日

東日本区役員会(1)(4/13)

震災がやはり議事の中心となった第3回東日本区役員会
今日は北海道部評議会・次期役員研修会の打ち合わせで会長と役員2名と一緒に打ち合わせ。
資料づくりと各種の準備についてお願いをしてきて、正直ホッとする。
区役員会の出席のため、だいぶ職場の仕事がたまってしまっている。
お手伝いしていただいて助かる。
でも、晩は疲れがどっと出て午後9時には死んだように寝てしまった。

YMCAの越智ディレクターと4月23日に震災募金をYMCA幼保園の子供たちとやることを相談してその方向で準備を進めることにした。

さて、区役員会での震災支援の討論であるが、ワイズメンの動きは速かったようだ。

都市直下型の阪神大震災と違い、津波型の大型地震で範囲も広く支援の方法も条件も大きく違うことを考慮しなくてはならず、ワイズメンによる直接の炊き出しなどは出来ない訳だが、YMCAの要請を受けて必要なものを直ぐに送るなどフットワーク良く動いているようだ。
場合によってはトップダウンによる要請なども適時おこなわれている。
ワイズドットコムなどのメーリングリストは、今回、大きくその力を発揮したと評価して良いと思う。

もしかしたら震災地には不満があるかもしれないが、各クラブの有志などによる独自の動きもあり、それもワイズメンズクラブ東日本区を通して最大限の動きを作ってもらっているようだ。

それにしてもYMCAあってのワイズメンであると思う。
震災地にYMCAという組織が無ければ随分とワイズメンズクラブの支援は違ったものになっていただろう。
私たちは決して大きな組織ではないが、それでもユニークで地元に密着した動きができているのはYMCAがそこにあるからだと思う。

今回の震災は5年・10年というスパンでものを考えなくてはならない。
あらゆる収益プログラムが停止しても、なお、地元の支援活動に没頭する仙台YMCAのスタッフのことを思う。
彼らの上にも私たちの支援を進める必要があるだろう。
その地になくても共に働かせてもらおう。
YMCAは私たちにとって更にかけがえ無いものとなった。

我々に求められるのは息の長い支援活動だ。
一時的な情熱に駆られたものではなく、求められるのは家族や兄弟に注がれるような永続的な愛情だと思う。

私は北海道部の評議会にワイズユースと共に11日を祈りの日として覚えTOFを実施し、献金を捧げようと提案するつもりである。
その運動が長く定着すればいいと思っている。
兄弟・同胞とともに平安の中に朝を迎えるまで。

2011年4月11日月曜日

無事帰宅(4/11)

9日に行われた震災支援のための街頭募金
昨日までワイズメンズクラブ国際協会 東日本区役員会に次期役員として参加をし無事に帰宅した。

今日も福島沖を震源とする6弱の大きな余震があり、この時、モノレールに乗っていて国際ターミナル駅に停車中だったのだが、長い時間、大きく車体が揺れた。
慌てた乗客の方もいたようだが、多くの方は落ち着いて事態を見守っていたのが印象的だった。
ちょっと前に祈りの日の共同行動で黙祷を飯能駅で捧げたばかりで正直、めげる。

役員会では多くの学びがあった。

震災関係でも私の認識が随分と間違っていたことが分かって参加した甲斐があったと思う。

義援金という言葉が、中央募金会と日本赤十字社にしか認められていないことを知りビックリした。
十勝ワイズメンズクラブのHPは支援募金となっているが、私が管理している所属山岳会 帯広勤労者山岳会は義援金となってしまっている。
しまった。(^_^;)

中崎部長は、立派な部報第2報を携えての出席で気合いの入った今季の締めくくりをしっかりやろうという思いが溢れていた。

しかも、北海道限定ビール、札幌クラシックまで重い荷物にもかかわらず持ってきている。
いやぁ。こりゃまいった。来年、私はここまで気が回るか分かりませーん。

役員会、初日の4月9日には街頭募金も実施された。
若い人が恥ずかしげに募金をしてくれていたのが嬉しかった。

少しづつこの役員会の様子については、自分自身で内容を消化しつつアップしていきたい。

2011年4月9日土曜日

東日本区役員会に出発(4/8)

実はこの投稿が公開されたころには東京に着いているはずだ。
googleのブログは投稿を予約できるのでこんな芸当ができる。

東日本区役員会への出席のためだ。

昨日、大きな余震が宮城を襲った。
私が東京に行こうとすると地震がある。
行くのを躊躇せざるを得なかったが、再び新千歳空港に向かうJRに乗るはずだ。
第3回東日本区役員会は新旧役員が共に集まって新年度への引継的な位置づけもあるのだろう。

今年は東日本区大震災を受けて、その支援に対して多くの時間が割かれるだろう。
少しでも論議を北海道部に返していきたい。

4月16日の北海道部評議会・次期役員研修会の打ち合わせも行ってくるつもりだ。
北海道部の皆さん。ちょっと待ってね。(^_^;)

ワイズメンズクラブ国際協会のファミリーレターが送られてきた。
もちろん日本語翻訳版だ。じゃないと分からない。
国際会長は藤井寛敏メンで兄弟クラブの東京江東ワイズメンズクラブの出身だ。
世界的な励ましの言葉が藤井会長を通じて伝えられている。

がんばろう 日本
がんばろう ワイズメン

2011年4月8日金曜日

出庫された種芋は(4/7)

出庫された種芋は、植え付けの準備として30g~40gに2つから3つに切られる。
ひとつひとつが人手を掛けて手際よく切られていくが根気のある作業だ。

今年の豊作を心から願う。

震災地に十勝の生産者からワイズメンズクラブを通じてじゃがいもが発送された。
この時期のじゃがいもは冬に糖化が進み、甘く美味しい。
被災者の方々に喜んで戴けるだろうか?

今日は、十勝の乳牛市場だった。
震災によって相場がどうなるかと心配したが、それほど下落しないで終わることができた。

それにしても福島の酪農家の苦労には心を痛める。
牛乳を搾っても破棄せざるを得ないという。

北海道も電力の4割は原子力に頼っている。
決して、福島の原発事故は農業国「北海道」にとって遠い人ごとではない。

一方で「がんばれ 福島」と福島・栃木産の野菜セールには心ある消費者が列をなしているという。
ありがたいと思う。

2011年4月7日木曜日

じゃがいもの種芋の出庫が最盛期(4/6)

小麦の鎮圧でローラからは土埃が舞い上がる。
本当はこのブログは全国のワイズメンにじゃがいもの生育状況なんかを伝えたいと思って設置したのだが、震災がきっかけにすっかりと違った方向になってしまっている。

しかし、震災という厳しい状況は私にも何かを試されていると思っている。
誰もが何かを迫られている気がする。
そんなときに北海道部長をやるというのは貴重な経験ではあるのだろう。
東日本区からの連絡が連続する日々にそんなことを感じる。

さて、初心に戻ってじゃがいもの生育報告。
随分と今日は気温が高かった。

小麦の追肥(秋まきの小麦に春の栄養分を追加で肥料をやる)の後の鎮圧(緩んだ地面を締めて小麦の生育のために条件を整えてあげる)でも、渇いた地面から土埃が巻き上がる。

出庫された種芋のコンテナ(上がメークイン・下がキタアカリ)
そんな時期ではあるが、じゃがいもの種芋の出庫が最盛期だ。

一方震災関係では、東西日本区の理事が震災後の仙台を訪問して、現地の実態の把握に努めていることが報告されている。

仙台YMCAボラティアセンターのホームページは充実した内容で現地の報告を伝えている。
毎日チェックを入れている。そこからは必死さが伝わる内容だ。

帯広YMCAに立ち寄る度にひとりTOFでちまちまと貯めている小額紙幣を募金箱に入れている。
彼らの活動の一助になれば本当に幸せだ。

2011年4月6日水曜日

移動村づくり大学同窓会総会(4/5)

竹熊宣孝先生
4月5日に移動村づくり大学同窓会の総会が幕別町内の居酒屋で開催された。
医食同源という思想がある。
食べ物が健やかな身体を形作る。
土が健やかな食べ物をつくる。
土に根ざした健康作りが豊かな人生を形作るという思想だ。

移動村づくり大学は有機農法の思想を学びながら北海道農業の発展を志す取り組みだった。
この研修に影響された農業者・関係者は多い。

その中心的なキーパーソンとして理論付けをして戴いていたのが中島常允氏(エーザイ生化研名誉会長)と熊本の菊池養生園の竹熊宣孝氏だった。
菊池養生園での養生研修で直接竹熊宣孝氏の講話を聞いてすっかりとファンになってしまった。

数年後、ワイズメンズクラブに入って熊本のワイズと知り合ったらその方が菊池養生園の方で喜んでしまった。

同窓会では、参加した当時の思いで話に花が咲いていたが、参加者がやはり気になるのは今年の作況と大震災。

それにしても今年は雪が少なすぎて、暖かすぎ。
異常気象とも思える今年の春が、吉とでるか凶と出るか。
「神のみぞ知る」

2011年4月5日火曜日

十勝ワイズメンズクラブ第2例会(4/4)


東京ひがしクラブの金丸さんから仙台YMCAへの物資の輸送の報告がメーリングリストに流された。
写真での報告では毎日マスコミに流されている映像と同じような屋根の上の舟などの惨状が添付されていたが、仲間の目を通じての報告文が添えられているだけで印象が変わるのが不思議だ。

今日は、十勝ワイズメンズクラブの第2例会である。

メーリングリストに参加されているメンバーとそうでないメンバーの情報量の蓄積の差を感じる。

昼夜をとわず投稿を続ける田中書記を中心とするアクティブメンバーの努力に敬意を表するしかない。

例会では、東日本大震災のワイズメンズクラブ東日本区支援募金にニコニコボックスから献金を捧げることを決定した。

北海道部次期部長から方針を説明したが、まあ、評価はいろいろですね。(苦)

8月27日に帯広畜産大学で開催予定の北海道部会は少しずつ骨子が現れつつある。
それは、後日少しずつ触れていきたい。

2011年4月4日月曜日

山岳会の総会(4/3)

朝にワイズメンズクラブ北海道部の方針について考えをまとめる。

午後から所属山岳会・帯広勤労者山岳会の総会があり出席をする。
懇親会もあったのだが、体調が悪くあまり自分自身は気分的には盛り上がらない中での出席となった。
会のホームページの管理から手を引くことになり少し気が楽になる。

最近はさっぱりと山にも行けずにモチベーションは下がる一方である。

募金箱が回され日本勤労者山岳連盟の東日本大震災の募金に捧げられた。,

総会が会場はとかちプラザで4月16日に開催されるワイズメンズクラブ北海道部第2回評議会・次期役員研修が開催される特別会議室と同じ階で掃除をしていることをちょっと会場を覗いてくる。

2011年4月3日日曜日

東日本区大会に思う(4/2)

栃木YMCAに身を寄せる被災者に絵本のプレゼント
今日は久しぶりに山でも行こうかと思ったが、仕事が入り行けなかった。
朝から吹き荒れる強い風にこれもしょうがないかなと思う。

仙台青葉城ワイズメンズクラブのブリテンが届いた。
前半は既に震災前に編集作業に入っていたと言うことでボランティアリーダーとのかかわりにフォーカスを置いた内容になっている。
YMCAボランティアリーダーとの強い結びつきが震災時の地域活動の礎になっていたことが伺える。

最終ページに震災後の支援に対する感謝になっていて、6月4日~5日に開催予定の第14回東日本区大会にも触れられている。

もちろん次期部長には区大会の出席義務がある訳であるが、こんな時期に開催する実行委員会の心労もいかばかりだろうか?
2年前に十勝で開催された大会でもあり、そのことを思い返すと不安な実行委員会の皆さんの思いも良く分かる。

しかし、青葉城ワイズメンズクラブのブリテンを見ると、この大会が東日本大震災被災地支援大会と位置づけられたことの被災地元の期待もあると思われる。
逆にこの大会を開催することの重要性は増していることを感じるのだ。

4月4日には十勝ワイズメンズクラブの第2例会が開催され、この大会の参加とりまとめが行われるはずだ。
意義ある大会となるよう祈念したいと思う。

2011年4月1日金曜日

4月ということで春です(4/1)

甲州クラブから仙台に送られる支援物資
いよいよ4月。スタートの季節。次女は病院には初出勤。内科に配属されたそうだ。

やっと北海道部 第2回評議会・次期役員研修のコンテンツが出来たので十勝ワイズメンズクラブのHPにリンクを張る。

時間が掛かった割りには大した内容ではない。

多分、部会のコンテンツもこのデザインがベースになっていくと思う。
今度のバーナーのデザインは牛かな?

岩手の盛岡クラブのブリテンが届けられた。震災後のYMCAを中心とした奉仕の様子が伝えられている。
地元の要望がテレビの画像より切実に感じられた。

理事通信NO10が届けられる。
毎月発刊でNo12が最後だろうからNo10という数字を見て次期への秒読みが始まったのを感じる。