2011年7月31日日曜日

ばんえい競馬 幕別産駒記念(7/30)

我が町の幕別町産の馬が競馬場にいて、レースに出場している。

幕別町は馬産振興のために幕別産の馬だけを集めてレースを編成してくれた。

ある程度の経費を掛けて戴き、更に町長まで競馬場にご来場戴けることになった。

ばんえい競馬は、協賛レースを個人でもおこなうことができるので是非ご検討を。(笑)

奥で協賛金を手渡しているのが幕別町長 岡田和夫さんです。

一着の騎手・馬主・調教師に協賛金が手渡された。

その後、馬産生産者とレストラン煉瓦亭に移って、馬産関係について意見を交換した。

レストラン煉瓦亭は部会での懇親会場でもございます。

2011年7月30日土曜日

小麦の刈り取りが始まりました。(7/27)

いよいよ小麦の刈り取りが始まった。
雨さえ降らなければ不眠不休で刈り取りが続けられる

大型コンバインが手際よく小麦を刈り取っていく。

量はやはりありそうだ。

槍ヶ岳・穂高(7/23-26)

帯広畜産大学時代のアイスホッケー部監督である恩師は毎年、北アルプスを中心とする本州の山に行く。
 先生は「本州の山に行くと北海道の山の良さをまた実感できる。君も行きたまえ。」とよく言われている。



 今年6月にワイズメンズクラブ東日本区大会で長野県松本市に行く機会があり、ガスで全く周りの山が見えない天候であった。
 せっかく北アルプスの麓に来ながら山も見ることができず10時間しかいられないという事態にフラストレーションがたまってしまった。
そこでイライラ解消に北アルプス漫遊宣言を出すとたまたま同じエリアを狙っていた山岳会のメンバーがいてご一緒出来た。(その方は燕から槍・穂高とガイド地図一冊ほぼ網羅という長旅だ)
 723日~26日。槍沢から槍ヶ岳・大キレット・北穂高・奥穂高から岳沢・上高地という情報にはことかかないスタンダードなコースをとった。



 だから、あそこがどうだとかここがどうだったというような報告はしない。
同行の方は軽い高度障害でなかなか思うように先に進めなかったが、槍ヶ岳山頂で粘り強く私の到着を待って戴いたご配慮には感謝するしかない。
時間の制約もあり前穂高岳はキャンセルとなった。

全体として思うのは北海道にない北アルプスが持つスケール感に圧倒された。
山道はよく整備されホテル並みの快適な山中泊楽しめた。



誰かから山小屋の食事はまずいと言われていたが、料理はどこも美味しくジョッキでビールが呑める環境は実際とても不思議な感じだ。
山ガールには適当な場所におトイレが整備されているのは本当にありがたいだろう。

これはこれでとても素晴らしい登山文化だ。
ただ、こんな登山を続けていたら松本市内の登山者だって破産してしまうだろう。一泊2食で9,000円である。
私ならとても続けられない。もちろんテントを担ぐという当たり前の選択枝だって用意はされている。


一方、我がホームグランド十勝にそびえる日高と言えば実に登山者に求めるハードルは高い。山は低いのにやれ徒渉だ・沢だ・草付きトラバースだと自分自身の力の無さを無慈悲にもさらけ出すことを強いられる。
山で泊まるには布団どころか山小屋さえないのだからとにかく生活環境そのものをザックに詰め込んで山に持ち上げることになる。(全装)
そこで得られる感動は北アルプスとは全く違うものだ。

 北アルプスも心底感動した。しかし、日高とは同じ山なのにその感動の質感は違うものだった。
 どちらが優れているとか劣っているとかではない。感動の肌触りが違うのだ。
 どちらも嫌ではない。その違いが自分自身まだよく分からない。
後何年後になるか分からないが、その答を探しに、また行きたいな。


ヤマレコの記録

十勝総合畜産共進会(種馬の部)(7/20~21)

私が就職した頃は当組合は76戸の馬の飼養農家がいた。
今は8軒となり、市場での販売もふるわない。

でも、十勝の大地を切り開いたパートナーとして農用馬に対する道民の尊敬の気持ちは失われていない。

少し前まで道内4カ所で行われてきたばんえい競馬は今はソフトバンクの支援を得て帯広だけで世界で唯一開催されている。
販売はふるわないのだが、なんとか馬文化を残したいという市民は少なくない。

馬の改良はひるまず続いており、実は世界最大の馬を日本人は作り上げてきたし、改良の手をゆるめることはない。

その改良の成果を示すための祭典。
十勝総合畜産共進会が肉用牛と併せて7月21日から22日の二日間の日程で開催された。

私は今回出品馬のすばらしさには結構自信があったのだが、他の馬がそれ以上にすばらしかった。
思った成績は得られなかったが、我が馬たちもすばらしいと今でも思っている。

十勝の底力はどこでも見ることができると思わされた二日間であった。

花が満開・じゃがいもの花(7/19)

仕事の途中の時間を利用して再びじゃがいもの花がの写真を撮る。

後ろの木立に広がるジャガイモの花。
いい感じの風景だと思うのだが、地元の人は意外と身近すぎてあまり感動する人はいない。
ててもいい風景だと思うのだが・・・・

今日は紫色の花をご紹介したい。

同行の農家の方に品種を聞いたら、隣の農家の畑だという。
わかりませ~ん♪

既に花の盛りは過ぎた畑もあり、地下では芋がすくすくと身を太らせているはずだ・・・

2011年7月19日火曜日

幕別夏まつり(7/18)

幕別夏まつりは、十勝での花火としては最初の方にあたるし、帯広の隣町というロケーションもあって、任期のあるイベントである。

そこで同じ町内のJAの肉牛生産者が和牛牛肉の試食販売を行うというので食べにいった。

ついでに手伝ってきた。
もちろん仕事ではないが同じ町内の肉牛生産者を無視することもできない。

中央奥に見えるのは元ワイズメンの課長である。

昔から仕事上からも旧知の仲である。

右手前は若手生産者の一人であるがなかなかの手さばきで感心してみていた。

70キロを用意した一皿500円のお肉は、夕方には完売した。

店頭価格も若干下がっているが、自粛モードの中で和牛枝肉価格のセリ値は底値に近い。
もう少し食べて欲しいなぁ・・・

夜空を彩る花火にはいつまでたっても美しいと思う。
当日の花火のラストは日本花火らしい黄金色一色で夜空を飾った。

2011年7月18日月曜日

ツールド十勝(7/17)

私は若い頃はアイスホッケーと自転車競技をやっていた。
登山はどちらかというとトレッキングに近い感覚でやっていた。

自転車競技は十勝が広いなだらかな平野で自動車の交通量も少ないため、スポーツとしての自転車にとても適した土地だと思う。

北海道アマチュア自転車競技連盟の主催で帯広駅まで道内の一流選手も含めた愛好者を集めてツールド十勝のレースが行われた。



東日本区大会の舞台の一つとなった
ホテルノースランドの前の疾走する
午前中に教会に行って新しい牧師に会うことができた。
よき導き手に我々は恵まれたようだ。

その帰りに帯広駅に立ち寄った。
昔の仲間との再開が嬉しかった。

私が競技者としてペダルを踏むことはもうないだろう。

しかし、競技を見ていると血がたぎるような思いにとらわれる。


東日本区大会の舞台であったとかちプラザ前で
表彰式が行われた。奥は帯広駅だ。
レースはクリテリウムレース(短い周回コースを回る形式でのレース)で行われ、何回も迫力あるコーナリングが目の前で繰り返されるのを見て市民達ちも興奮していた。

子供達ちのレース・一輪車レース・ママチャリによるレースなどバリエーションのあるレースがあり、アキさせなかった。

ここにも多くのボランティアが子供達ちの育成やスポーツの振興への思いを支えている。

2011年7月17日日曜日

愛媛から先輩が来たる(7/16)

私が4年間青春を送った帯広畜産大学では、ほとんどの男子学生が碧雲寮という自治寮で生活をしていた。

碧雲寮は二人部屋で先輩と後輩が共同生活を送っていた。
現在は大学管理の男女共学寮となっている。

大学も大きく変化したのだ。

私の部屋は碧雲寮422号室で、同室の先輩は愛媛県にいる。

私はアイスホッケー部だったが、先輩はラグビー部。

ラグビー部がOBとの交流試合を海の日の連休を挟んでやるということで、先輩の同級生と一緒に帯広に来て戴いた。

前日に帯広入りした先輩達ちに呼ばれて「蕎麦人」というこれまたラグビー部OBがオーナーの蕎麦居酒屋に懐かしい顔を尋ねにいった。
だちょう料理というのは初めてだが美味しかった。

変わったと言えば変わったのだが、中味はほとんど変わらない愉快な先輩達ちだ。

大学は大きく変わったが友情はひとつも変わっていなかった。

先輩達には学生時代に本当にお世話になった。
そのことは忘れずに今後も生きていこうと思う。

帯広畜産大学は、今年のワイズメンズクラブ東日本区北海道部部会の会場である。

2011年7月16日土曜日

とろいかだよりNo.1(7/15)

中崎直前部長は北海道部の動きを各部員に流し、活動を鼓舞するために驚異的な勢いで部長通信を発行していた。
この才能を寝かしておくには全くもったいない話である。

私の方針として中崎さんが実践した動きの見える北海道部の継承をあげた。
しかし、中崎さんほどの文才があるわけでもなく、ホームページとか情報発信の手段はそれなりに考えるも限界がある。

そこで中崎直前部長にお願いして、私が事務的な部長通信を流し、北海道部の動きを直前部長の目を通して活写してもらうことにした。

早速、1号ができあがり、とっても感激して読んだ。
新体制へのお支えに感謝したい。

近々、ワイズメンズクラブ北海道部のホームページにもアップするつもりである。


晩にとかち帯広YMCAで渡辺メン・YMCAの連絡主事のおっちーと部会ととかち帯広YMCA50周年記念事業について打ち合わせをする。

やはり渡辺メンのイベント準備に手慣れた思考能力はすっばらしい。

でも、一日走り回って疲れたわ~♪

2011年7月15日金曜日

コンバインの整備(7/14)

今日は雨である。
わずかな時間を利用し小麦の刈り取りに向けてコンバインの整備を農家は行っている。
今年の小麦は穂長もあり、このままで行ってくれればいい感じで収穫できるのではないだろうか?

昨日は札幌クラブ主催の時計台コンサートが開かれているはずだ。

各クラブがYMCAに寄せる思いと期待に心が動かされる。

私自身は自分自身の方針で本当に部全体が一丸となって動けるのか疑心暗鬼となってきた。
書記・会計と各クラブ・事業主査とのすりあわせを一回やらないかと持ちかける。
それに対しても賛否両論となっていて、また、自信をなくす優柔不断な部長である。

そんな中で多くの意味で中崎直前北海道部部長のご尽力に感謝するしかない。

2011年7月13日水曜日

北見ビールパーティ(7/12)

司会の二本松メン

712日に北見のビールパーティに連絡主事と前日の例会でゲストとしてお迎えしたサハリンの3人のキャンプリーダーを引き連れお邪魔した。

北見に向かう道すがらソフトクリームをサハリンのリーダーにごちそうし、おいしそうに食べてくれたので気持ちよく国道を飛ばしていたら警察のごやっかいになる。
明らかに私が悪いと深く反省。

会場に着くと早速準備をがんばっている北見クラブのメンバーを手伝う。


会長の藤原メン
会場は大きく劇場形式の座席エリアもあるのだがまさかそこまでがいっぱいになるとは思わなかった。

開場は6時なのだが、すでにその30分前には階段にまで人の列が続いている。
今日一日が暑かったからビールを飲みたいだけではないだろう。
北見クラブの地道な取り組みが広がっている成果だと思う。

また、子供達・孫たちの貴重なYMCA園児らの発表機会で、お父さん・お母さん・おじいちゃん・あばあちゃんの熱気も大したものだ。

かわいらしくも迫力ある児童の発表


開場は15分早められた。
ドアが開くと同時に会場はお弁当とビールコップを片手にした人々で埋め尽くされた感がある。

北見クラブのメンバーはビールパーティにも関わらず一滴も呑まずに奉仕に明け暮れているそばで、当日チケットを買ったことを良いことに北海道部長は堂々たる飲みっぷりである。(あっ・・・俺のことだ^_^;


薄荷童子の迫力あるよさこいソーラン



奥のサハリンリーダーはなぜかドジョウすくいだ
まずは、子供達の発表で可愛い踊りで宴を盛り上げてくれた。
会場もノリノリである。

北海道部長の挨拶の機会も与えて戴いたのだが、あえてそのことには触れない。

一回目の抽選会は、高級リゾートホテルの鶴雅ペア宿泊券からサーモンファンドでおなじみの鮭1本など豪華な景品がならんでいて、当選番号が呼び出される度に歓声が沸き起こった。

会場を埋め尽くす500名を超える来場者
大林主事の話を聞いて知ったのだが、出し物の2部で演舞してくれたよさこいソーランチームの「薄荷童子」はワイズメンとYMCAが育てた経緯があるらしい。

迫力ある演舞で会場の熱気は最高潮に。

よさこいソーラン体験ではサハリンのリーダーも舞台で汗を流していた。

北見YMCAと私の車のエンジンルームをのぞき込む
マックスそんなとこに日本の秘密はないぞ
二回目の抽選を経てパーティは終了したが、会場を出て行く皆さんがみんな笑顔なのは、おいしいビールと心のこもった出し物の質だけではない。

会場に来ている人たちは、このパーティはYMCAが行っているチミケップキャンプ場の障害児キャンプの財源作りとして行われる社会的にも意義のあるパーティであることを理解している。
その一体感がみんなの顔を輝かせたのだと思う。

私もその一人であることは間違いない。
北見YMCAの子供達
抽選番号を引き当てるチミケップ場長のマイク・ウルフ
左端はサハリンリーダーのなっちゃんリーダー
壇上右端から藤原会長・中崎直前北海道部長

2011年7月11日月曜日

7月十勝ワイズメンズクラブ第1例会(7/11)

スピーチをするイーゴリ君

7月の第1例会はチミケップのキャンプリーダーとしてサハリンから来日している3人を迎えて711日にとかち帯広YMCAにて開催をされました。

とても気持ちいい若者三人で、日本語は私よりうまいくらいです。
冗談にも乗ってくれるほどでサハリン州立大学で培った語学力はただものではありません。
彼らを指導するサハリン州立大学の日本語教師の一人はチミケップキャンプリーダーという経緯を連絡主事の越智さんから戴きました。

この交流事業(キャンプリーダー招待事業事業)は米国在住のこれまたチミケップリーダーOBの浄財によって支えられているとのことでした。


日本文化に触れるマックス君
「なぜ、日本に来ようと思ったの?」という我々の問いかけに、単に大学で日本語を学んでいるというだけでなく来日経験者はもとより日本人の親切な人柄にあこがれているといううれしい言葉が返ってきました。

私たちはその言葉に値する良き隣人でしょうか?

逆に「なぜあなたたちはYMCAに入っているのか」という思ってもみない問いかけにこちらがしどろもどろになってしまいました。

すっかり三人と打ち解けるようほえ
連絡主事や参加してもらったYMCAのスタッフによると最初は青い目の青年たちに子供達も緊張していましたが、直ぐにうちとけ「マックス先生」「イーゴリ先生(イービィ♪)」「なっちゃん先生」と叫びながら、まとわりついていたようで、あまりの人気沸騰ぶりを表すように「お父さん」と呼ぶ子供まで出現。
大いに盛り上がっていたようです。

チミケップキャンプ場での彼らの奮闘を期待したいと思います。




語尾がこの投稿だけですます調でおかしいのはこの原稿がブリテンの例会報告の粗原稿なためです。ご容赦を

チロロ岳 5の沢遡行・曲がり沢下降(7/10)

日高山系 チロロ岳に5の沢から遡行した。
今年初めての沢登りである。
日高山系はほとんど山道がなく、結果としてほとんどのアタックが沢からの遡行となる。

あいにくの雨の中の遡行だったが、逆にそれが幸いして難易度は高くないもののダイナミックな渓相を楽しむことができた。

ヤマレコの記録

2011年7月9日土曜日

酪農部会家族交流会(7/9)

パークゴルフでナイスショット
実は今日からワイズメンズクラブ東日本区役員会が静岡県で開催されてる。
開催されてるのに私は十勝にいる。

いい訳のために記録に残しておこう。

実は今日は酪農家のための家族交流会が開かれた。
忙しい酪農家にとっては貴重な情報交換の場であるし、札幌勤務がほとんどの当農協の組合長も酪農家と話せる機会をとても楽しみにしている。



で、パークゴルフ(幕別町生まれの簡易ゴルフみたいなもの)と焼き肉をやるだけなのだが、結構これが準備や当日の仕事などが大変なのだ。
仕事中の人工授精師にでさえ、「手すき時間に手伝いに来て」と泣きつく始末である。

部下のほとんどに手伝いを命令してるのに命令者自らが富士山麓のワイズメンズクラブ東日本区役員会に行く訳にはいかないのである。



カクして、理事事務局の漆畑さんには「ごめんなさーい(-_-;)体で返しまーす。」とお詫びのお電話を差し上げる顛末と相成った。



酪農家の人の表情は多少元気に見えた。
みんなが仲良く、もっと弾けて欲しいなぁ・・・(笑)

2011年7月8日金曜日

じゃがいもの花が満開(7/5)

イモ畑を埋め尽くすじゃがいもの花が十勝の今の農村風景となっている。

適度な気温・雨量に支えられ生育は順調である。


十勝ワイズメンズクラブ第2例会(7/4)

7月第2例会がとかち帯広YMCAで行われる。

キックオフ例会(年度最初の第1例会)を7月11日に開催することを決定。

サハリンから来るユースの皆さんをお迎えして実施することになった。

会長以下、ほとんどが再任の布陣で一年間活動することになる。


その後、場所を帯広市内の居酒屋に移動し、今年一年間の奮闘を誓い合った。

色々な課題があるが、自信をもって楽しく活動が続けられればいいと思う。

部や東日本区の活動に対しても皆さんのご協力をお願いしま~す♪

2011年7月7日木曜日

じゃがいもファンド委員会(7/7)

じゃがいもの花は引き続いて満開の状態で、紫色や白い色が畑を埋め尽くしている。

豊穣の収穫を夢見るこのごろではある。

十勝ワイズメンズクラブは全国にじゃがいもをお送りして販売した益金をそれぞれのクラブの奉仕事業に活かして戴いている。

昨年は猛暑によるじゃがいもの収量不足から多くのワイズメンズクラブにご迷惑をお掛けした。

晩にとかち帯広YMCAでファンド委員会があった。

世界的にみる食糧不足や価格高騰により、生産資材(肥料やトラクターを動かす燃料など)も世界的に近年高止まりにある。
ものによっては、値上がりに歯止めがかからない状況だ。

スーパーに行って欲しい。
野菜・パスタ・小麦粉・食用油・パン・乳製品など全ての食材が値上げや容量のコンパクト化が進んでいる。
いつまでも有り余る食料を考え無しに安ければいいと食える時代ではもう既にないのだ。


生産者も資材高騰で当然経営収支は苦しい。
買い取り価格の値上げの要望があり、昨年度は市況高騰という売り手有利な条件の下でも、ワイズメンに協力してくれた生産者の信頼に応えることにした。

売価は据え置きの方向である。

地元YMCAの活動を支えることがワイズメンの存在意義の一丁目一番地であると考える。

そこが一番しわ寄せを受けるような事態は避けなくてはならないと思う。



今回の決定は、今まで十勝の食材を利用しながらYMCA・地域貢献の財源として活かして戴いている全国の多くのワイズメンへの感謝と今までファンド事業を支えていくれた地域の生産者への配慮の間でギリギリの選択であったと思う。

その中で当然十勝自身のファンド財源は縮小することになる。
とかち帯広YMCAは50周年の節目を迎える重要な年度である。

覚悟して今後のYMCA・社会奉仕活動に臨んでいく覚悟である。

2011年7月6日水曜日

チミケップワークキャンプ(7/3・2日目)

手前が北海道YMCA総主事の宮崎氏
奥が北見クラブのダブル松さん
チミケップキャンプ場整備事業の二日目

朝になり元喫茶店店主の中崎北海道直前部長のプロのモーニングセットをおいしく戴き、気持ちのいい朝のスタートをきる。

再び網戸を外し、窓を拭き、新しい網を張るという作業に私はあたる。

タッカーのトリガーを引く度に、右の腕が腫れ気味である。


それぞれのメンバーはセンターハウスの窓ふきや草刈り・昨日に引き続いてのピザ釜制作にとりかかっている。
特にピザ釜制作班は完成を見ないと昼食のピザが食べることができない。
食い物の恨みを知るワイズメンは必死になっている。

11時ぐらいに1台のピザ釜に火が入れられ、昼食の準備が始まり、全員の空腹が加速していく。

生焼けやらお焦げやらも含めておいしいピザができはじめた。


東日本区地域奉仕事業担当の強化月間のテーマはYMCAサービスである。



帰宅してからずーっとYMCAとワイズメンの係わりについて考えることが増えた。

というより一年を掛けて、いやチミケップキャンプ場が50周年を迎える2014年までずっと私の命題となると思う。

まだ、その点で方向性さえ考えがまとまらない。

ただ、奉仕の結果が形になっていく様はやっていてやりがいがあったし、とても楽しい二日間であったことのみを現時点で報告しよう。


今日はここまで。


2011年7月4日月曜日

チミケップワークキャンプ(7/2・1日目)

とかち帯広YMCAに集合

7月1日は気がついたら経過していたが、2日朝からワイズメンズクラブ北海道部のメンバーからメールで「ガンバロー」と気合いを入れられる。

「がんばりましょ~♪」である。
まずは、連絡事項をメールにまとめて北海道部役員MLを稼働する。

今年度、初となる事業であるチミケップワークキャンプに出発する。

連絡主事・会長と私のちょっと寂しい参加陣容。

道中はYMCAやワイズメンズクラブのこと、北海道部のことなど色々と話しながら車をチミケップに飛ばす。

札幌クラブ2名・十勝クラブが主力でやはり多くは北見クラブであり、それに加えて北見クラブが誘っていた戴いた自治体の方・リーダーOBなどである。

ワイズメンズクラブをアピールしたいという部長の思いを十分に受け止めて準備を進めて戴いた北見クラブに感謝するしかない。

これは直前部長の中崎さんと昨年作られたピザ釜である。
これをもう二つ作る。

中崎さんは本当によく面倒を見てくれた。

北見YMCAは夏まつりであったので、連絡主事はこれなかったのだが、スタッフ1名を派遣してくれたし、種々入念に準備してくれた。

チミケップキャンプ場は北見管内・津別町にある静かな湖畔のキャンプ場である。

チミケップキャンプ場は昨年のワイズメンズクラブ北海道部部会の会場になって、じっりと見ることができた。

自然環境という面では北海道YMCAが日本中に誇れるすばらしいキャンプ場だ。

ロータリークラブとYMCAが歴史を作り上げた大切な宝物だと思う。

ピザ釜を組み立て中
今回、十勝でやる北海道部部会にお呼びしたスティーブン・リーパーさんのお父さんともつながりの強いキャンプ場である。

一人のアメリカ人YMCA主事のデュルーリー氏の情熱に北見の市民が突き動かされ(特にロータリークラブの皆さん)建設がなったという貴重な施設である。

ワイズメンズクラブが維持や整備に力を注ぐ価値は十分にある。

長老二人も刷毛をふるいます
慣れない作業にあごをあげるワイズメンも多く私もその一人である。

私は網戸の張り替えをした。

地域奉仕事業主査の北見クラブのKさんも網走の現場から駆けつけて色々と指示して戴くだけで、作業の能率が変わってきた。

いい感じで夕方を迎え、訓子府の町営温泉で汗を流す。

会場を地域のセンターに移して、中崎直前部長の多くの食材が並ぶ豪勢な交流会が始まる。

途中、北見クラブの盟友 K森さんが北見の地において蛍の繁殖・増殖に力を注いでいる内容の説明があり面白かった。

途中、チミケップキャンプ場長 マイク・ウルフ氏が感謝の言葉を述べ始めると、こちらがたじろぐくらいの熱い語りになってしまった。

とにかくうれしかったらしい・・・

熱い語りのマイク ウルフ場長


二日間で結構いろいろな想いがうずまいてしまって、現時点ではよくまとまっていない。
今年一年掛けて色々と勉強していく宿題を与えられた気分だ。

とにかくこの報告も2回に分けて報告することにしたい。

お酒を飲まれていなかったK森さんに無理にお願いして蛍の里を案内してもらった。

幼虫が光っているのを見て痛く感動して、再び、地区センターに戻って、お酒を呑み、充実した一日目が終わった。