2011年5月29日日曜日

北海道YMCA会員総会(5/28)

混乱の帯広駅
北海道YMCAの総会が札幌で行われたので初めてだが参加する。
これも次期北海道長の立場が動機であることは間違いない。
こうして、多くの経験を得られるのも一つの恵みだろう。

帯広駅に行くと驚いた。汽車が動いていない。
前日、列車火災があり札幌行きのすべてが運休となっていてた。
このことはほとんどの利用者は知らなかったようで、改札は説明を求める人が列をなしていた。





ご存じ札幌ブランチ
これで部長研修での台風襲来。次期役員研修での東日本区会長研修での東日本大震災。新旧役員での区役員会での福島の大型余震など、私が動くとなにか世間様に不幸なことが起きる。

「大人しくしなくっちゃね」と思いつつ車で移動を開始。
まさかこんなことになるとは思っていないので、自家用車は車検に預けていた。
代車は修理工場のボロな軽自動車である。

唸るエンジン音で耳鳴りするのを抑えながら必死の思いで札幌の北海道YMCAに到着する。




会員総会の様子
総会では、多くのワイズメンの姿が見えた。
帯広からは三人の会員が出席。
北海道YMCAの置かれた現状について理解を深めた。

ワイズメンが楽しく活動するにはその活動の礎となっているYMCAが元気であることを切に祈る。
次期方針・計画が着実に推進されることを祈り、協力したいと思う。

新しく評議員に選任された八田牧人さんは私が高校生だったころ通った蒲田美園教会でご一緒だった。
高校生会でよき指導を与えられていたことを思いだし、何となく運命的なもの感じる。
とかち帯広YMCAからは渡辺メンが選任を受けた。


会員セミナーの講師橋本修一さん
会員セミナーは元北海道YMCAの職員で現在は特別養護老人ホーム神愛園 手稲施設長である橋本修一さんの講演「高齢社会の現実と必ず与えられる解決の道」を聞く。

橋本さんは祖父が牧師をしていた遠軽教会で青春を送ったそうだ。
これも巡り合わせだろうと思う。

私がきっと心の奥底で感じていた長寿を喜べない高齢社会の不安と決して若くはない(笑)私の両親への介護への構えなど多くの示唆を与えられた内容だった。


参加を勧めてくれた池田メンに感謝したい。

2011年5月28日土曜日

試される次期部長(5/27)

うむ~なかなか悩まされる。
次期部長方針はそれなりに準備期間を設けて策定してきたつもりだったが、準備不足というか力不足を感じるところである。

まずはチミケップキャンプワーク
地元の北見クラブとの連携不足が表面化してきた。
これは私の責任である。
地元YMCAのデレクターと話して自分なりの考えをメールするとしたが、確たるイメージを持っている訳ではなく、パソコンの前に座っては全くキーボードをたたけないで時間を過ごす。
何とか本日、内容的にまとめたものを一応、デレクターと北見ワイズメンクラブの主要役員に送ることができたが、どうなることかと不安である。
最大限実現に努力させてもらうことにしよう。
あまり地元に負担や混乱を生じるようなら考えなくてはならないだろう。

北海道部のメーリングリストの構築
現在、札幌クラブの方がアドレスリストによる全員返信の形でメールを配信されているが、メールアドレスは定期的に変えることを迷惑メール対策として推奨するプロバイダーもあって、多くがエラーとして戻ってくる現状もあり、これをシステム化しすることを目的とした。

ワイズドットコムへの参加を東日本区として推奨していることもあり、一挙に登録を進めようと思いアドレス調査とメーリングリストへの参加希望とりまとめを文書で会長に依頼したが、これがそれほど理解されていないようだ。
用語も含めて説明不足は否めない。
パソコンなどに慣れていない方には分かっているだろうという思い込みは禁物であることが良く分かった。
ひとつひとつのクラブの距離が異様に離れている北海道の地理条件をネットの力で乗り越えようとする試みだが、個々のメンバーのネットとの親和性には格差がありすぎると思う。
できるところでやるしかないかな?

北海道はリラ冷え。
もう少し春らしさを感じるには時間がかかるかもしれない。

曇天でも農作業は忙しさを極める

2011年5月24日火曜日

ランタンプロジェクト(5/24)

明治学院東村山高校のでのランタンプロジェクト
 の一次集約分で集まった乾電池
ワイズドットコムに東京YMCAのほうから東京のワイズメンズクラブに向けてランタンプロジェクトに協力して欲しい。
単一電池を送って欲しいというメッセージが流れた。

これを見て、なぜかホッとした。

確かに北海道YMCAでも支援募金は継続されているし、ワイズメンズクラブ東日本区でも支援金の募集は息長く行われている。

それでも北海道十勝にいて直接的に被災地に何かを送れるというのは、4月以降、十勝クラブで会長が東日本区の要請を受けて行われていた支援物資の送付以来途切れていた。

とかち帯広YMCAが諸般の事情で街頭募金が中止となってしまってブランチにも足を運ぶ機会がなく、金曜日の昼食を抜く個人的なTOFやGive My Climb運動で手元には5千円の現金があった。

東京在住のワイズメンに対する呼びかけということだったが、東京YMCA会員部に尋ねると北海道の電池でも快く受けてくれそうだ。
本日、取引のある商店に頼んで送料込みで5千円の単一電池をクラブ会長の許しを得て十勝クラブの名前で送る。
アルカリ単一電池は1本200円ぐらいするはずだから多分20本程度だろう。
目標3000本のうちの20本である。焼け石に水のようだが、この積み重ねがきっとYMCAなのだ。

小さな力を寄せ集めて支援を地元の要望で行う。
決して小さなことでは無いような気がする。

写真は明治学院東村山高校生徒会の呼びかけで集められた乾電池の山。152本が一次集約で集められたようだ。
素敵な若者達なんだろうなぁ・・・・・
うれしくてブログにコメントを書く。

ランタンプロジェクトの呼びかけ

2011年5月23日月曜日

インターナショナル チャリティーラン(5/22)

朝1番の特急にのり札幌でアマチュア無線技士国家試験を受ける。

道内唯一の試験会場でもあるのだが受験生は4級は9人と少ない。
講習受講で免許を取得するのがメジャーで、自分で勉強して免許をとるという私の様な人間はすっかりと少数派になってしまった。



試験時間は1時間だが30分で試験会場を後にする。
まあ、とんでもないことが無い限り不合格となることはないでしょう。

地下鉄で真駒内に行き、YMCA インターナショナルチャリティーランの会場である真駒内公園に行く。
走るには快適ながら肌寒い天気で、既に札幌クラブがサービスしていたワイズコーヒーは完売していた。

子供達の楽しい笑い声や声援を聞きながら、ゆっくりと関係者のみなさんと話をする。

閉会式ではビンゴ大会で大盛り上がり。
益金は256,500円でハンディキャンププログラムに捧げられた。
司会の札幌クラブ 阿部メンが大活躍。

会場を後にした私は中田メンのお宅に伺い、ゴルフ番組を見ながらアルコールをあおっていた。

楽しい時間をありがとうございました。

2011年5月22日日曜日

山岳会の花見(5/21)



共働学舎近くの新得山で山岳会の花見があった。
私は明日の4級アマチュア無線技士国家試験のためにそれほど呑まずにずっと話していた。

既に葉桜が中心となり満開とはいかないが、まだまだ花見らしい雰囲気。
冷たい雨が降りもこもこに着込んでジンギスカンを囲んだ。

場所を変えて地元の会員の家で宴会は午前様まで続く。
寝袋持参の会員11人がこの家に雑魚寝して泊まる。

試験の前の日にこんなことをしていてはと思うが、試験に臨むにあたってよっぽどのことが無い限り不合格である気がしない。

2011年5月20日金曜日

ワイズメンズクラブ北海道部のサイトを一般公開(5/20)

驚いた。
たいしたサイトでも無いのにワイズメンズクラブ北海道部のサイトの一般公開の告知をワイズドットコムに流したら、遅い時間だったのに励ましやら訂正の指示など全国から多くの反響を戴いた。

今日は家畜市場だったのだが、牛を引っぱりながら受けた携帯電話は京都から「チャーターの日付が間違っとるやんけ」と指摘で、返す刀で「北海道部部会には遊びに行くで~♪」とうれしいお言葉。

一番、熱心にチェックを入れてくれたのは東日本区書記の田中さんだ。
いつ寝てるか分からない田中さんが一番細かくチェックを入れてくれた。
とても出来る芸当ではない。
一生掛かったって私にはワイズメンズクラブ東日本区の書記なぞ出来ませんわ。

一番笑ったのは、間違いに気が付いてナビゲーションだけ修正して本文を直すのを忘れていた「What's About Y'sMens Club」って直訳すると「ワイズメンズクラブってどうした?」て言う意味だよ。と指摘されたメールの箇所を読んだ時だ。

・・・・・それはそれでいいのかもしれないと一人爆笑していた。

写真は私を励ましてくれた御殿場クラブのメンバーから送られてきた富士山の写真。
池に映る逆さ富士!!! いいねぇ~♪

2011年5月19日木曜日

2000プロジェクト委員会(5/18)

北海道部では東日本区全体で会員増強プログラムとして展開してきた2000プロジェクトを継続することで決意されている。

委員長の柴田さんからネット会議として協議事項が送られてきた。
当面は7月2日~3日のチミケップワークキャンプ(整備事業)に向けて次期キャビネットの方で北見クラブ・YMACAと早急に連携をとる必要があると思う。

私一人では出来ないので、次期キャビネットに対して、即、泣き付きのメールを送る。

キャビネットは縦軸(のようなもの)として2000プロジェクト委員会は横軸(のようなもの)としてクラブ同士を繋ぎながら二人三脚で動いていきたいというのが次期部長の構想である。

柴田委員長に押される形で(強迫観念(^_^;)をもって)北海道部のホームページの公開を早めることとした。
公開を5月20日(金)とすることを次期キャビネットに流す。

今日は風もふいて気温も上がりとてもいいお天気だった。
一挙に農作業は進みそうである。
小麦・牧草の緑が目に鮮やかだ。

2011年5月18日水曜日

松本からうれしい知らせ(5/17)

ブログのコメントに対するお礼のメールに
添付されていた金井さんから戴いた写真
まだまだ登録を上に伸ばしますよという意味?(笑)
ワイズメンズクラブ東本区大会の実行委員長が自身のブログ「常念の見える部屋から」に5月15日に投稿されている内容を拝読した。

東日本区大会は無事に当初の登録目標数に達したようだ。

よかったと思う。
皆さんにお会いできる日を楽しみにしたい。

大会事務局は、これからが大変だと思うが、皆さんならやりきれると思う。

昼に札幌クラブの柴田さんと連絡をとりながら、22日のチャリティランと北海道部ホームページについて、打ち合わせ。

今日は肉牛家畜市場。
価格は少し弱含んでいる。そんな中でも和牛メス価格は安定している。
不景気で枝肉価格が不振で苦戦する肥育農家の苦労を思う。
枝肉価格は下がっているが店頭価格は下がらない。

どうでしょう?
和牛ですき焼きなんか。たまには自分にご褒美を(^。^)

2011年5月17日火曜日

仙台広瀬川クラブチャーターナイト(5/16)


仙台広瀬川ワイズメンズクラブチャーターナイト(新クラブに対する国際認証伝達式)が5月15日に開催されたことがワイズドットコムを通じて知らされた。

震災の中で多くの苦労を乗り越えて新クラブの出発にこぎ着けた皆さんの努力には本当に頭が下がる。
東日本区ホームページの一報には十勝クラブから行くことが事前に伝えられていた山田メンの姿が見えるが、その横には渡辺メンの姿にしか見えない女性メンバーが写っている。

・・・・・・聞いてないんですけど。二人で行くって(ーー;)笑

いずれにしても元気の与えられるニュースだった。

夕方に「アジア大会は参加を断念せざるを得ないようだ。」と谷治さんに伝える。私自身は未練たらたらである。
高田アジア会長の情報を待って再度考えてみようかな?

東日本区の区報原稿依頼が次期北海道部長の私に届く。
半ページと思ったら、それ程のスペースではない。むしろ、どうやってここに押し込もうか考えなくてはならないようだ。
簡潔にシンプルに控えめに・・・

次期北海道部役員に北海道部ホームページの試作版を見てもらうためにURLを伝えた。
色々、ご指摘を戴けると嬉しい。
北海道部次期役員以外の人はまだ見ることができませんので、あしからず。
後日、震災関係の内容を付け加えたいと思う。

2011年5月16日月曜日

十勝ブラックアンドホワイトショウ(5/15)

上旭YMCAキャンプ場にてたった一人。寝袋で目覚めたのが朝4時。
お天気悪く剣山登山を二日酔いもあいまって断念。

昨年口蹄疫で全部中止となった家畜品評会事業の久々のスタートとなる十勝ブラックアンドホワイトショウの会場に車を向ける。 要するに牛の美人コンテストだ。

当農協酪農家からの出品牛は酪農後継者に引かれて審査にあたった。
こう言う積み重ねが大事なんだろうなと経営者に尊敬を抱く。
口蹄疫予防対策として退場時に全頭、消毒薬の噴霧を受けていた。

自宅に戻り仮眠をとった後、北海道部のホームページを少しだけ手を加える。

気になっているものを早く片付けないと山岳遭難救助で必要な4級アマチュア無線資格の受験勉強がいつまでもやれない。 なんせ今週なんですよ。(~_~メ)


お天気回復して青い空がまぶしい夕方。礼拝後、教会の壮年会の飲み会があり、その後帰宅すると東京セントラルクラブの谷治さんにお願いしていた台湾アジア大会の見積もりが来ていた。

「本当にどうしようか」と再び妻と話し合う。結論でないままに就寝。

消毒薬の噴霧を受ける牛たち

2011年5月15日日曜日

山菜ファミリー例会(5/14)



旭山YMCAキャンプ場(恵みの里)で開かれた山菜ファミリー例会。
ユースリーダーとの接点としてとても貴重な機会である。

室内で焼き肉ができるところが旭山キャンプ場の凄いところ。
なにせ釧路地方では雪の予報さえでる肌寒さ。

アイヌネギやコゴミなど豊かな山菜の恵みが机に並ぶ。
この時期としては遅めのタランボがさすが冷涼なる旭山にはまだいい感じのものが収穫できたようだ。YMCAのスタッフや池田メネットの手で手際よく天ぷらに揚がっていく。

例会としてのセレモニーはしっかりとやりながらも、気持ちは美味しい山菜とお肉に移っている。

私は寝袋持参で呑む気満々である。

9時には池田邸に移り、ユースリーダーとの交流を深める。
リーダーの一人。アミーゴが福島の復興支援でボランティアで行っていたことを初めて知った。
とかち帯広YMCAのユースリーダーは、いい働きをしている。心強いばかりだ。

2011年5月14日土曜日

ネット社会とワイズメン(5/13)

ここまでは出来てるんですがね・・・
十勝は再び曇天と雨。
こうして梅雨のない北海道は着実に夏に向かって行く。

私の現在作ってるワイズメンズ国際協会 北海道部のホームページの作成は遅遅として進まない。

最近、東京クラブの大槻展子メンから「被災者ための手引き」のリンクが紹介されていた。
必要な(と思われる)情報がリアルタイムで情報共有できる今日この頃である。

大槻展子メンは十勝で開催されたアジア大会でユースの軸として持ち前の明るさでみんなを引っぱっていてくれた。
あいかわらず、いい性格丸出しでがんばっているようで嬉しい。

こんな情報に触れることが出来るワイズドットコムに参加している人とそうでない人の情報量には格段の差が出てきたと私は思っている。
かといって、バリバリと情報が流れている訳ではない。
圧倒的にはROM(リードオンリーメンバー)が多いということだ。
このブログも北海道部メンバーの意見をいろ出すことが目的だが過度な期待は禁物だろう。

決してメーリングリストやホームぺージを過信することは出来ないし、ネットでも若干の係わりがある私としてはネット社会が生み出す饒舌さや弊害を感じることは多い。

ワイズメンの中ではネットはまだまだマイナーな手段である自覚を持つ必要がある。

ネットにはプラスとマイナスはあるが、それでも明日をにらんで北海道部でも次期のメディアとしてとりあえず取り組んでみるつもりである。

今日ぐらいに北海道部メーリングリストの調査用紙が各会長に届いた頃だろうか?

2011年5月13日金曜日

台湾の暖かいまなざし(5/12)

 今日も天気はとてもよい。仕事では乳牛市場が開催されて市場は賑わった。
 今日のニュースで台湾の王金平立法院長(国会議長)が約300人の観光団を率いて来道していることを知った。
王院長は出発前に「日本の観光復興を助けたい。これを機に台日関係がさらに密接になると信じる」と語っているという。海外の要人が観光団を率いて協力するのは異例らしい。
 今年のワイズメンズクラブ国際協会アジア大会は韓国とのアリア分割も控える区切りとなる大会で台湾が舞台。
やはり日本の自粛モードの中で登録はふるわないと伝えられている。
 それにしても震災支援でもそうだが、台湾の皆さんが日本に寄せられている友情は尋常なものではない。
 下の動画はACCが用意した宣伝動画だが、完成度が非常に高い上に日本語版をわざわざ用意してくれる周到ぶりで恐縮してしまう。

 実は畜産現場関係者は海外渡航を自粛するムードが非常に強い。
 それはアジア全体に口蹄疫の発生がみられるためだ。
 ただ、台湾の皆さんが日本に向けられている暖かいまなざしには本当に感謝するしかない。

 正直、どうしようかな?


2011年5月12日木曜日

2回目の祈りの日(5/11)

仕事途中の車中から。日高山系が美しい
東日本大震災発生から2回目の祈りの日となった。

ワイズメンズクラブ国際協会東日本区からワイズユースの提唱する祈りの輪に参加するようにメーリングリストに流されていた。

私は3.11以降、金曜日を一食ぬいて募金に捧げる断食の時(TOF)は、都合によって今週は出来そうにないので、今日の昼食を一食抜いた。

食事に充てる時間が空いた分、暇を持て余した訳ではないのだが、あまりの天気の良さに近くの丘の公園に散歩に出かける。
ここしばらくの夜業で肩もバンバンに張っている。
少し運動をした方がいいと思った。

公園も桜が満開となっていた。
小鳥のさえずりが嬉しい。

幕別町 明野が丘公園の桜
散歩なのだが、携帯にはどんどん電話が掛かり移動事務所のようだ。
恥ずかしいが電話しながら息が荒れているのが分かる。
汗ばむ陽気だ。

丘の上の展望台からは大雪・日高の白い山並みがはっきりと見えた。

祈りの時、2時47分はお客さんと仕事の打ち合わせであった。
が、今日一日思い返しては東北に想いを馳せていた。

一日も早い平安が被災地にありますように。

2011年5月11日水曜日

じゃがいもの植え付け終わる(5/11)

じゃがいもの種芋の植え付け作業
じゃがいもの植え付けが終わるというより、終わっていたというのが正しい。

しばらくディスクワークに縛られていて、事務所に来る農家に聞くと必ずお約束で戻ってきた「ぜんぜん終わっていない」という日常句にだまされた。

この写真は4月27日のものだが、まだまだこの時は植え付けは本格的ではなかったような気がしたし、お天気も曇りがちで写真としてはすぐれていない。
でも、今年のじゃがいもの植え付けの写真としては私がもっているものでは唯一のもとなってしまった。
なので、こんな具合にもう既に植え付けは終わっています。

今日は久しぶりに晴天が広がり気持ちのいい一日だった。
一昨日の雨も強い風でいい具合に畑も乾き初めて、農家は次の植え付けであるビートは既に終了。l
飼料用トウモロコシや豆に軸を移しつつある。

2011年5月9日月曜日

春遠からじ(5/8)

実はここしばらく十勝は天候が安定しない。
今日も雨の予報だったが晴れ間も見えて意外とよかった。
農家の方も4月頭の乾燥状態から一転安定しない天候でだんだんとストレスも溜まってくると思う。

これはランニングコースの途中にある明野が丘の桜だがエゾヤマザクラでさえこの状態である。

夕方に行った帯広では満開に近い感じで少し場所を変えれば大した違うもんだなぁと思う。
気候が安定しないのは季節の変わり目だということ。

春の本格的な訪れはもう少しだろう。

母の日で気合いを入れてケーキを買ったら娘とかぶった。
打ち合わせ不足であった。
タダでさえ太り気味の我が一家の晩はケーキバンキングと相成った。(-_-;)

部会長・事業主査のアドレス調査は遅れてしまった。
本当に申し訳ありません。

2011年5月6日金曜日

オプタテシケ山登山から下山(5/5)

完全ホワイトアウトのオプタテシケ山頂上
オプタテシケ山から無事下山。

一日目の夕方のみが晴れでその他は完全なホワイトアウトだった。
それでも山は素晴らしい。

最終日の美瑛富士・美瑛岳は断念した。


初めてのGPS持参でしたが操作には苦労はあまり感じなかった。
最初はどんどんと動いていく地図に見とれていてずっと画面を見ていたが、やはり周りの雪をまとった木々の美しさに目を奪われた。

二日目も三日目も完全ホワイトアウトで、そんな天候でも行けてしまうことがいいことなのか悪いことなのか。ちょっと考えてしまうが、自分の位置が正確に把握できてしまうことに驚く。
今までだったらデポ旗を差しながらコンパスを切り、旗門を作って方向を定めという作業を繰り返すがその必要性を全く感じませんでした。
私の読図や実力では間違いなくあの天候では撤退を判断しただろう。

興味のある方はヤマレコの記録を見てください。

2011年5月3日火曜日

十勝ワイズメンズクラブ5月第2例会(5/2)

あらかじめ言っておくが写真を撮るのをわすれたのでビジュアルはございません。

今日はワイズメンズクラブの第2例会。第2例会は今後の会の運営をみんなで決める。

そろそろ次期キャビネット(役員体制)づくりの時期だが、全員再任という一部入れ替えという強烈な選任方法に落ち着いた。

書記が高田メン・副会長が山田メンという入れ替えで私は国際交流担当だ。

仙台広瀬川のチャーターナイトに向けて祝福の気持ちが寄せられていた。
十勝ワインを送ることに決定。
震災に負けずに元気出してワイズメンらしい活動をして楽しんで欲しいです。

山菜例会ぐらいが議題だと思って仕事とブッキングしていたが何とかなるだろうと考えていた。
携帯で取引先から呼び出されて最後までいられない。

打ち合わせが終わって帰ってから、登山の準備をちょこっとしてお休み。
まともな山は本当に2ヶ月ぶりかもしれない。
天気予報はどんどんと悪い方向になってしまったが、大変楽しみ。

2011年5月2日月曜日

次期部長・自分の弱さに負ける(5/1)

無事地図もルートも転送完了。
今日は、日曜日だが仕事が溜まっていて職場に出勤する。
午後9時に相当疲れて自宅に戻る。

明日は、十勝ワイズメンズクラブの第2例会だ。
その時、何が起こってもおかしくないので、明後日5月3日~5日のオプタテシケ山・美瑛富士・美瑛岳登山の準備を行う。
リーダーは登山会の仲間で食事当番も担ってくれた。ありがたい。
パッキングや道具を車に積み込んで準備をあらかたを終わらせる。

私は2月にアウトドア用ハンディGPSを購入したのだが、本格的な利用は今回が初めてだ。
ルートを作成しハンディに送信するの少々戸惑った。

東日本区書記の田中さんからメールで北海道部役員のメーリングリスト作成のための督促が来る。
分かっていたのだ。〆切が4月30日までだったことを。
やれば出来たのにサボった。
本当に申し訳ありません。自分の弱さに負けました。(-_-;)
下山後にやりますんで・・・・・