2011年10月18日火曜日

10月十勝ワイズメンズクラブ第1例会(10/17)

本当に久しぶりの更新となってしまった。

相次ぐ山岳事故などもあったことはあったのだが、やはり力が入らないスランプに陥ったというのが正直なところ。
適当なサプリメントなんか今日発注したりしている。効果がありますように。

で、久しぶりになっちゃうのだが、十勝ワイズメンズクラブの第1例会に出席をした。
出席するのが当然なことなのだが・・・・

今日のゲストスピーチは「あがり 框(かまち)」というコミュニティレストランを経営する中村さんである。

中村さんは自信の障害者の授産施設の運営の挫折や再出発の経験を交えながら現在障害者が置かれている厳しい実態についてお話をされた。

正直私は頭でっかちだが、お話を聞いてその実態のすさまじさにたじろいでしまったというのが正直なところだ。
少ないメンバーの出席だったが、それでもゲストスピーカーとの間で活発に意見交換がなされていた。

中村さんは自主上映とコンサートを進めている「タケオ」という映画について紹介されている。
上映は来年の8月24日である。
この中で主人公のタケオさん(ダウン症のアフリカンドラム奏者)のコンサートも行われる。

上映に行くのを楽しみにしたいと思う。

なんか北海道部部長の公式訪問ということで時間を割いてもらったので、好きなことをしゃべってみた。
少しでもメンバーの心に届けばいいのだが・・・

2011年9月11日日曜日

第25回YMCA全道サッカー大会(9/11)

9月11日(日)に札幌農試公園で開催されたYMCA全道サッカー大会に行ってきた。

全道畜産総合共進会の会場である音更町 十勝農協連家畜共進会場を3時半に出て途中仮眠をとりながら7時半に札幌到着。

飲み過ぎたこともあったのか極めて体調悪し。
少年少女のさわやかなスポーツイベントに似つかわしくない疲れた顔を晒していた。

全道各地から集まった少年少女たちは極めてかわいい。

会場のツインキャップのアリーナは下が固いとはいえ屋内の施設としては土場という極めて珍しいつくり。

その中で迫力もあり一方ではかわいいプレイを楽しく拝見していた。

札幌クラブがこの大会をサポートするということで子供達にはスポーツドリンクの提供。
大人たちにはコーヒーサービスが行われた。

この取り組みには単なる地域奉仕サービスという面だけでなく、父兄にワイズを広く知ってもらうという意味からも北海道部の支援が必要だと部会でも承認されて、後日、CS資金の充当をおこなっている。

少しでもワイズの心が地域の中に広がればいいなと思いつつ、二日酔いで重い体を引きずりながら会場を後にした。
札幌クラブの皆さま。お疲れ様でした。

2011年8月30日火曜日

じゃがいもの収穫が本格化(8/29)

実は北海道部部会が始まるまではぐずついた天気だった。
それが部会が始まった途端、スカッパレなお天気となり、じゃがいもの収穫が本格化した。

北海道部部会は実はお天気まつりともなり、なんともうれしい。

写真はポテトハーベスター。
後の作業機に人がのって、一次の選果を行う形だ。

すでに枯れてしまった地上部の畝をたよりに、引っぱるトラクターのハンドルを握るものはいない。

自動的にトラクターの前輪は畝をたどっていくのでトラクターの運転手は作業機を方向転換すると、直ぐに作業機の上に登って選果を行う。

これは、メークインの収穫作業である。

掘られたじゃがいもはコンテナに移されて風乾される。
私が見る限り、とても美味しそうな粒ぞろいのじゃがいもだった。

北海道部会の翌日(8/28)

前日はレストラン煉瓦亭に車を置いてきたので取りに汽車で移動。

降りた駅で京都クラブの方とプラットフォームで会う。
短い時間だが別れを惜しみつつ、特急「おおぞら」が駅を離れるのを手を振って見送った。

さて、ノースランドで江東クラブの皆さんを見送り、煉瓦亭から拾ってきた車に、河合理事・セントラルクラブの石井メン・森本元西日本区理事という重鎮を乗せる。

まずは、私のお気に入りの真鍋庭園だ。
真鍋庭園は針葉樹林を中心とした北海道らしい庭園で、静かな雰囲気が何とも言えずに素敵で年に2回は訪ねる。
ところが、森本さんは造園業者だということを教えてもらい爆笑する。
ご案内している私がいつの間にか生徒になっていた。

その後、同じくお気に入りの六花亭の芸術の森に行く。
千葉クラブの青木さんの弟さんの彫刻をより一層親しく眺めた。

その後、ファームレストラン「野島さん家」に行って、自家産野菜を中心としたヘルシーランチをご賞味願った。

空港でお別れをし、前日に使った焼き台などを片付けて、家に帰ったのが午後7時過ぎ。

気絶するように布団にもぐり込んだ。

2011年8月29日月曜日

ワイズメンズクラブ北海道部会(8/27)


なんか本当に久しぶりの投稿となってしまっている。
死ぬほど忙しいとはこのことで、特に22日からは目の回る忙しさで気持ち悪くなってしまった。

そんな気持ちも落ち着かない中、8月27日にワイズメンズクラブ北海道部部会が帯広で開催された。

ホストは私が所属する十勝クラブで、招集者は北海道部部長の私。

前日から十勝クラブの兄弟クラブである京都クラブの皆さんや西日本区元理事の森本メン・下村メンが帯広入りし懇親を深めた。

今日は東日本区理事の河合重三メンを始めとし、同じく兄弟クラブの江東クラブの皆さん・島田日本YMCA同盟総主事・原もと東日本区理事を空港に出迎える。
しかし、こんな日に携帯は仕事の電話で鳴りっぱなしだ。


評議会と部会記念講演会は帯広畜産大学で開催された。準備不足は否めず、それでも議案は無事承認されて評議会が終了する。

評議会では、中崎直前部長から北海道部エコアクションの表彰式が行われた。

震災があからさまに私たちに突きつけた原発の問題はだけの問題ではなく、横浜での国際大会でワイズメンはゼロエミッションを目指すとした宣言を実現するための切っ掛けとして大きな運動提起だった。

部長通信28号だけではない、このような取り組みが北海道部の動きを変えたと思う。

年度中に傑出した取り組みをした部長に与えられる国際賞であるエルマークロウ賞の盾も評議会席上で中崎直前部長に引き渡された。

私にとってもとても励みとなることだ。
素直にうれしかった。

部会記念講演会はとかち帯広YMCA創立50周年記念講演会と兼ねて行われた。

講師は広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパー氏である。

氏の父ディーン・リーパー氏は宣教師、またYMCA(特に学生YMCA)の導き手として来道し台風によって洞爺丸で自分の救命胴衣を他人に与えて海に沈んだ。

この経過は道さんのブログに詳しい。
道さんのブログの投稿記事

講演会の後援団体として名前を連ねて戴いているマジソン交流協会の門屋会長から、自分がマジソンに訪ねた時に親交を深めた助成がスティーブンさんのお母さんであったエピソードは、氏の育った家庭環境を伺わせて面白かった。

また、北海道YMCAの宮崎総主事は、帯広畜産大学で学生YMCAの指導に当たった後、北大の学生YMCAと親交を深め、そのまま洞爺丸に乗ったディーン・リーパー氏の話を伝え、この会場で息子のスティーブン氏の話を聞く不思議を感じた。


実行委員長の山田メンの母校でもある。
まあ、私の母校でもあるのだが・・・

ステーブン・リーパー氏は、チミケップキャンプ場はその設営に自分も関わったと当時を懐かしく振り返りつつ自分とYMCAの関わりを披露された。

チミケップキャンプワークの汗を思い返していた。

氏はユーモアを交えて平和と育みについて語り会場の皆さんに大きな感動を与えていた。

会場では災害募金への取り組みがなされたが、アピール不足で担当者との連携のなさが露呈してしまった。

でも、よくYMCAのスタッフは働いてくれたと思う。

全体で90人近い来場者を迎えて、懇親会が開かれた。

特に父兄の池田さんが素晴らしいへらさばきで私をうならせていた。

用意した和牛牛肉はいい感じでさばくことができた。

来年の伊豆の伊東で開催される東日本区大会のホストクラブの伊東クラブから大会アピールがある。

とても楽しい若いメンバーでなかなか会場を盛り上げてくれた。

色々と反省点もあるのだが、とても力づけられた部会ではあった。

2011年8月23日火曜日

ジャガイモの地上部が枯れてきました(8/22)

久しぶりの更新です。
カメラがなくなってなんとなくブログもお休みでした。

じゃがいもの花の開花からしばらく経ちましたが地上部(葉や茎)が枯れてきています。

病気や元気がないわけではなく、地上部の栄養分をすべて地下にあるイモに送っているわけです。

既に収穫の始まっている畑もありますが、写真を撮るにはあまりにも遠かったり、あまりにも余裕がない忙しい時に収穫作業を眺めたりします。

今年の収量はどうかな?

晩は十勝ワイズメンズクラブの臨時第2例会がありました。
部会の準備等で疲れもピークです。

2011年8月5日金曜日

会計引き継ぎ(8/3)

中崎直前部長が北見からわざわざ十勝に来て戴き、北海道部の会計の引き継ぎ事務をおこなった。

立ち会いは、中村部書記・十勝クラブの池田会長である。

中崎さんの同行は、北見クラブの小堀さんで、北見こんぴら山のホタルマイスターである。

池田会長の自宅(上旭YMCAキャンプ場)で造成しているホタルの里の指導をお願いした。

かなりのホタルが上旭に繊細な光を煌めかせている。
小堀さんから生態などの話を含めて色々とご指導を受けることができた。

たまたまこの日は福島の子供達が北海道で夏を過ごすツアーの一環で上旭キャンプ場に来ていた。

中村部書記の家にある五右衛門風呂で汗を流している間に、ワイズとボランティアチームがご挨拶。
中崎部長は子供達で食べて欲しいと、北見よりわざわざイチゴ持参して戴いた。

小堀さんは子供達にホタルの話を一生懸命開設して戴き、更にホタルの自慢の写真(なかなか素人じゃ撮れませんよ)をプレゼントして戴いた。

子供達は夜遅くまでキャンプファイアーを囲み、焼き肉に舌鼓を打っていた。

中崎さんは本当にすごい行動力だ。
エルマークロウ賞も順当な授与だともう。

色々とご教授戴き、遅れ気味な自分の取り組みに叱咤激励をされている心持ちだ。



菜の花(8/3)

この花は菜の花で、これから穫れる油はプレミアム食用油や一部はバイオ燃料の原料として利用されている。

土に優しくまた連作による病害虫・疫病予防の効果もあることから少しずつ作付けが広がりつつある。
前作として長いもの食味の改善にもとても大きな効果があるらしい。

畑一面に咲き誇る菜の花は車中からみていてもとてもきれいだ。

東日本区に評議会の投票を郵送した。

もりおかクラブのご健闘と次々回区大会の成功を確信している。

当クラブからの理事選出もきっと区全体の理解を得られると思う。
期待を裏切らないように自分もがんばるつもりだ。




2011年8月2日火曜日

十勝ワイズメンズクラブ第2例会(8/1)

役員会に相当するのが第2例会である。
私の責任なのだがワイズメンズクラブ北海道部会の準備は遅れ気味だ。

ワイズメンズクラブ東日本区事務所所長には、「今週からがんばりたいと思います。」と連絡を入れたが気持ちに嘘はない。
準備を急ぎたいと思う。
22日に臨時第2例会をおこないホストクラブとして最終的な調整を行うことになった。

理事通信にも載っているので今更隠す必要もなくなったが、当クラブのメンバーが東日本区次次期理事に立候補した。
あまりにもさりげなさ過ぎるが「もりおかクラブ」が次次年度の東日本区大会のホストに名乗りを上げてもらっていることが「もりおかクラブ」のブリテンに掲載されている。
手続きが順調であれば、今月中にも決定されるのは以下のような事実だ。

2013年6月 盛岡の地で我がクラブから理事のメダルを受け取るメンバーが誕生する。

今年の理事就任式で「理事の職についたものは寝ても覚めてもワイズのことを頭の中心におくべし」と式司の方が声高らかに宣言していた。

理事を支えるべきホームグランドである我がクラブもその責任があるということだ。
私以外のメンバーはなんとなく落ち着いているが、私なぞはその責任の大きさが心にのしかかる。
と同時に北海道YMCAを全国に売り出す絶好の機会を与えられたのだと心弾む部分もあるのだ。

多くの出逢いが私たちに与えられる恵みに預かろうとしている。
もう少しクラブのメンバーを増やさなくては・・・

2011年8月1日月曜日

帯広伝道教会 牧師就職式(7/31)

私が所属する帯広伝道教会に新しい牧師が赴任してきた。

懐かしい顔にも出合いちょっと楽しかった。

この教会の長老は我がワイズメンズクラブの会長でもある。同じ長老には北海道部メネット会長である。
お二人は夫婦。

さて、小さな教会にも恵みは溢れている。
そういう一歩を踏み出す日曜日であった。

2011年7月31日日曜日

ばんえい競馬 幕別産駒記念(7/30)

我が町の幕別町産の馬が競馬場にいて、レースに出場している。

幕別町は馬産振興のために幕別産の馬だけを集めてレースを編成してくれた。

ある程度の経費を掛けて戴き、更に町長まで競馬場にご来場戴けることになった。

ばんえい競馬は、協賛レースを個人でもおこなうことができるので是非ご検討を。(笑)

奥で協賛金を手渡しているのが幕別町長 岡田和夫さんです。

一着の騎手・馬主・調教師に協賛金が手渡された。

その後、馬産生産者とレストラン煉瓦亭に移って、馬産関係について意見を交換した。

レストラン煉瓦亭は部会での懇親会場でもございます。

2011年7月30日土曜日

小麦の刈り取りが始まりました。(7/27)

いよいよ小麦の刈り取りが始まった。
雨さえ降らなければ不眠不休で刈り取りが続けられる

大型コンバインが手際よく小麦を刈り取っていく。

量はやはりありそうだ。

槍ヶ岳・穂高(7/23-26)

帯広畜産大学時代のアイスホッケー部監督である恩師は毎年、北アルプスを中心とする本州の山に行く。
 先生は「本州の山に行くと北海道の山の良さをまた実感できる。君も行きたまえ。」とよく言われている。



 今年6月にワイズメンズクラブ東日本区大会で長野県松本市に行く機会があり、ガスで全く周りの山が見えない天候であった。
 せっかく北アルプスの麓に来ながら山も見ることができず10時間しかいられないという事態にフラストレーションがたまってしまった。
そこでイライラ解消に北アルプス漫遊宣言を出すとたまたま同じエリアを狙っていた山岳会のメンバーがいてご一緒出来た。(その方は燕から槍・穂高とガイド地図一冊ほぼ網羅という長旅だ)
 723日~26日。槍沢から槍ヶ岳・大キレット・北穂高・奥穂高から岳沢・上高地という情報にはことかかないスタンダードなコースをとった。



 だから、あそこがどうだとかここがどうだったというような報告はしない。
同行の方は軽い高度障害でなかなか思うように先に進めなかったが、槍ヶ岳山頂で粘り強く私の到着を待って戴いたご配慮には感謝するしかない。
時間の制約もあり前穂高岳はキャンセルとなった。

全体として思うのは北海道にない北アルプスが持つスケール感に圧倒された。
山道はよく整備されホテル並みの快適な山中泊楽しめた。



誰かから山小屋の食事はまずいと言われていたが、料理はどこも美味しくジョッキでビールが呑める環境は実際とても不思議な感じだ。
山ガールには適当な場所におトイレが整備されているのは本当にありがたいだろう。

これはこれでとても素晴らしい登山文化だ。
ただ、こんな登山を続けていたら松本市内の登山者だって破産してしまうだろう。一泊2食で9,000円である。
私ならとても続けられない。もちろんテントを担ぐという当たり前の選択枝だって用意はされている。


一方、我がホームグランド十勝にそびえる日高と言えば実に登山者に求めるハードルは高い。山は低いのにやれ徒渉だ・沢だ・草付きトラバースだと自分自身の力の無さを無慈悲にもさらけ出すことを強いられる。
山で泊まるには布団どころか山小屋さえないのだからとにかく生活環境そのものをザックに詰め込んで山に持ち上げることになる。(全装)
そこで得られる感動は北アルプスとは全く違うものだ。

 北アルプスも心底感動した。しかし、日高とは同じ山なのにその感動の質感は違うものだった。
 どちらが優れているとか劣っているとかではない。感動の肌触りが違うのだ。
 どちらも嫌ではない。その違いが自分自身まだよく分からない。
後何年後になるか分からないが、その答を探しに、また行きたいな。


ヤマレコの記録

十勝総合畜産共進会(種馬の部)(7/20~21)

私が就職した頃は当組合は76戸の馬の飼養農家がいた。
今は8軒となり、市場での販売もふるわない。

でも、十勝の大地を切り開いたパートナーとして農用馬に対する道民の尊敬の気持ちは失われていない。

少し前まで道内4カ所で行われてきたばんえい競馬は今はソフトバンクの支援を得て帯広だけで世界で唯一開催されている。
販売はふるわないのだが、なんとか馬文化を残したいという市民は少なくない。

馬の改良はひるまず続いており、実は世界最大の馬を日本人は作り上げてきたし、改良の手をゆるめることはない。

その改良の成果を示すための祭典。
十勝総合畜産共進会が肉用牛と併せて7月21日から22日の二日間の日程で開催された。

私は今回出品馬のすばらしさには結構自信があったのだが、他の馬がそれ以上にすばらしかった。
思った成績は得られなかったが、我が馬たちもすばらしいと今でも思っている。

十勝の底力はどこでも見ることができると思わされた二日間であった。

花が満開・じゃがいもの花(7/19)

仕事の途中の時間を利用して再びじゃがいもの花がの写真を撮る。

後ろの木立に広がるジャガイモの花。
いい感じの風景だと思うのだが、地元の人は意外と身近すぎてあまり感動する人はいない。
ててもいい風景だと思うのだが・・・・

今日は紫色の花をご紹介したい。

同行の農家の方に品種を聞いたら、隣の農家の畑だという。
わかりませ~ん♪

既に花の盛りは過ぎた畑もあり、地下では芋がすくすくと身を太らせているはずだ・・・

2011年7月19日火曜日

幕別夏まつり(7/18)

幕別夏まつりは、十勝での花火としては最初の方にあたるし、帯広の隣町というロケーションもあって、任期のあるイベントである。

そこで同じ町内のJAの肉牛生産者が和牛牛肉の試食販売を行うというので食べにいった。

ついでに手伝ってきた。
もちろん仕事ではないが同じ町内の肉牛生産者を無視することもできない。

中央奥に見えるのは元ワイズメンの課長である。

昔から仕事上からも旧知の仲である。

右手前は若手生産者の一人であるがなかなかの手さばきで感心してみていた。

70キロを用意した一皿500円のお肉は、夕方には完売した。

店頭価格も若干下がっているが、自粛モードの中で和牛枝肉価格のセリ値は底値に近い。
もう少し食べて欲しいなぁ・・・

夜空を彩る花火にはいつまでたっても美しいと思う。
当日の花火のラストは日本花火らしい黄金色一色で夜空を飾った。

2011年7月18日月曜日

ツールド十勝(7/17)

私は若い頃はアイスホッケーと自転車競技をやっていた。
登山はどちらかというとトレッキングに近い感覚でやっていた。

自転車競技は十勝が広いなだらかな平野で自動車の交通量も少ないため、スポーツとしての自転車にとても適した土地だと思う。

北海道アマチュア自転車競技連盟の主催で帯広駅まで道内の一流選手も含めた愛好者を集めてツールド十勝のレースが行われた。



東日本区大会の舞台の一つとなった
ホテルノースランドの前の疾走する
午前中に教会に行って新しい牧師に会うことができた。
よき導き手に我々は恵まれたようだ。

その帰りに帯広駅に立ち寄った。
昔の仲間との再開が嬉しかった。

私が競技者としてペダルを踏むことはもうないだろう。

しかし、競技を見ていると血がたぎるような思いにとらわれる。


東日本区大会の舞台であったとかちプラザ前で
表彰式が行われた。奥は帯広駅だ。
レースはクリテリウムレース(短い周回コースを回る形式でのレース)で行われ、何回も迫力あるコーナリングが目の前で繰り返されるのを見て市民達ちも興奮していた。

子供達ちのレース・一輪車レース・ママチャリによるレースなどバリエーションのあるレースがあり、アキさせなかった。

ここにも多くのボランティアが子供達ちの育成やスポーツの振興への思いを支えている。